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十津川
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とつがわ
ふりがな文庫
“
十津川
(
とつがわ
)” の例文
しかし、笠置、赤坂の
失墜
(
しっつい
)
がひびいて、熊野ノ別当以下三
山
(
ざん
)
の勢力も、宮方には冷たく、宮はやがて吉野から
十津川
(
とつがわ
)
の深くに一時身をかくした。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また
大和
(
やまと
)
の
十津川
(
とつがわ
)
でも、麻を作ることが困難で、藤で織ったあらあらしい布を着ていたと、吉田
桃樹
(
とうじゅ
)
の天明八年の紀行、『
槃遊余録
(
はんゆうよろく
)
』には見えている。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
「さあ、おのおの方、ここへ来て、地図をごらんなされ、那須氏には、ようこの道を御存じのはずじゃ、
十津川
(
とつがわ
)
入
(
い
)
りには、いずれの道をとったがよいか」
大菩薩峠:04 三輪の神杉の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
中学時代に、私はこの
十津川
(
とつがわ
)
の九里峡を
艪
(
ろ
)
による船で下ったことがあった。それは晴れた八月だった。
大切な雰囲気:03 大切な雰囲気
(新字新仮名)
/
小出楢重
(著)
今夜
大塔宮護良
(
だいとうのみやもりなが
)
親王様には、
十津川
(
とつがわ
)
の郷をお出ましになり、明日
小原
(
こはら
)
に差しかかられまするが、大不忠の者あらわれて、大難にお遭いあそばさるる
御相
(
おんそう
)
、未然にまざまざ現われたり。
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
▼ もっと見る
十津川
(
とつがわ
)
の時の中山卿、
朔平門外
(
さくへいもんがい
)
で暗殺された姉小路卿、
洛北
(
らくほく
)
の岩倉卿、それらは
慥
(
たしか
)
に公卿さんには珍しい豪胆な人に違いないが、この高村卿の突拍子には格別驚かされる。
大菩薩峠:23 他生の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
藤代
(
ふじしろ
)
より
切目王子
(
きりべおうじ
)
、次いで熊野と辿り辿り、
漸次
(
ぜんじ
)
一行は
十津川
(
とつがわ
)
の方へ向かった。
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
殿ノ法印というのは、一時捕われて、六波羅監禁をうけ、その監視を破って宮の吉野、
十津川
(
とつがわ
)
の挙兵に
奔
(
はし
)
り、いまは
信貴山
(
しぎさん
)
にいて、大塔軍随一の、
股肱
(
ここう
)
の将と評判のある叡山の巨頭である。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
京都から
十津川
(
とつがわ
)
までの竜之助はあの通りの竜之助で、
饅頭
(
まんじゅう
)
の代りに帯刀をすら差出してしまった竜之助ですから、あの一本の簪だけを今まで持っていたはずはありません。
大菩薩峠:06 間の山の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
「これは
十津川
(
とつがわ
)
でやられた。京都から引返して来るときに、伊賀の上野で天誅組の壮士というのに
捉
(
つか
)
まり、それと一緒になって十津川へ後戻り、山の中で
煙硝
(
えんしょう
)
の煙に吹かれてこうなってしまった」
大菩薩峠:08 白根山の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
十津川
(
とつがわ
)
へ退いて、
都合
(
つごう
)
二千余人で
立籠
(
たてこも
)
った時の勢いは大いに
振
(
ふる
)
ったもので、この分ならば都へ攻め上り、君を助けて幕府を倒すこと近きにありと勇み立ち、よく戦いもしたけれど、紀州、藤堂、彦根
大菩薩峠:05 龍神の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
“十津川”の解説
十津川(とつかわ)は、奈良県の地域及び河川の名称。地域名としては現在の吉野郡十津川村一帯をさし、河川名としては熊野川本流の十津川村内での呼称として使われる。
(出典:Wikipedia)
十
常用漢字
小1
部首:⼗
2画
津
常用漢字
中学
部首:⽔
9画
川
常用漢字
小1
部首:⼮
3画
“十津川”で始まる語句
十津川郷民
十津川天誅組