割下水わりげすい)” の例文
源吾は津軽承昭つぐてるの本所横川に設けた邸をあずかっていて、住宅は本所割下水わりげすいにあったのである。その外東京には五百の姉安が両国薬研堀やげんぼりに住んでいた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
何年かのうちには、鉄砲かついで、西の方から、逢いに来よう、小網町こあみちょう伯父貴おじきへも、割下水わりげすいへも、同じようにいっといてくれればいい。……じゃ、おやす
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ですがお師匠さん、お客様は割下水わりげすいのお旗本はたもと阪上主水さかもともんど様からの、急なお使いだとおっしゃいますよ」
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
高手小手たかてこてに縛り上げて割下水わりげすいどぶへ打込んだという話を聞き、義憤むら/\と発して抑え難く、ついに蟠龍軒の道場へ踏込ふみこみ、一味加担の奴ばらを打殺し、大伴だけ打漏うちもらして
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
林之助は主人の使いで割下水わりげすいまで来たので、その帰りにちょっと寄ってみたのだと言った。お君が火消し壺からまだ消えない火種を拾い出して来ると、林之助はとりあえず一服すった。
両国の秋 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それからまたまた他流へ歩きまわったが、本所の割下水わりげすいに近藤弥之助という剣術の師匠がいたが、それが内弟子に小林隼太という奴があったが、大のあばれ者で本所ではみんながこわがった。
二葉町の大師匠といわれて本所割下水わりげすい、南二葉町に瀟洒しょうしゃな住居といいたいが少々風変り、屋根付きの門が赤い柱で、どこの稲荷さまの持物だか狐格子の扉、玄関を上ると板敷の室で大きな円座が三
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
この年十二月二十二日に、本所二つ目の弘前藩邸が廃せられたために、保は兄山田脩が本所割下水わりげすいの家に同居した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
外宅ヲシテ割下水わりげすい天野右京トイッタ人ノ地面ヲ借リテ、今迄ノ家ヲ引イタガ、ソノ時、居所ニ困ッタカラ、天野ノ二階ヲ借リテイタウチニ、にわかニ右京ガ大病ニテ死ンダ故、イロイロト世話ヲシタガ
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
何時も、部屋は三筋町なので、大川端から新堀を一本道に帰るのだが、親方の言伝ことづてを頼まれて、本所の同職の家へ廻り、少し遅くなって、葉柳の闇が狭く水をつつんでいる割下水わりげすいの辺まで来ると、——
醤油仏 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
文「ウン、表の割下水わりげすいどぶの中へほうり込んで来た」
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
を善くして、「外浜画巻そとがはまがかん」及「善知鳥うとう画軸」がある。剣術は群を抜いていた。壮年の頃村正むらまさ作のとうびて、本所割下水わりげすいから大川端おおかわばたあたりまでの間を彷徨ほうこうして辻斬つじぎりをした。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
割下水わりげすいの御隠居などは」
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
「拙者は割下水わりげすい——」
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)