倉廩そうりん)” の例文
と、よく事理を分別して、城内の財宝倉廩そうりんに、ことごとく封を施し、一門の老幼をつれて、その夜二更の頃、南門から落ちのびた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すなはち従ひ来れる馬士まごを養ひて家人となし、田野を求めて家屋倉廩そうりんを建て、故郷京師けいし音信いんしんを開きて万代のはかりごとをなすかたわら、一地を相して雷山背振の巨木を集め
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
倉廩そうりん満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。たとい富有というまででなかった仲間でも、生活に困らなかった時代の彼らが、世間に対して面倒な問題を惹起すべき筈はない。
エタに対する圧迫の沿革 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
俵は中なる納物いれものを、取れども/\尽きざりける間、財宝倉に満ちて、衣裳身に余れり、故にその名を、俵藤太とはいひけるなり、これは産業のたからなればとて、これを倉廩そうりんに収む
倉廩そうりんを封じて、兵燹へいせんから救われたことは、まさに天道のよみすところである。曹操は、そのお志に対し、足下を鎮南将軍に封じるであろう」
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
倉廩そうりん充ちて礼節を知る」で、生活に困難がなければそう嫌がられる事もせず、世間に比して特に不潔なと云う生活を営む筈もありません。したがってそうひどく賤まれた筈はありません。
その日のうちに厚くねぎらひて家人にいとまを与へ、家屋倉廩そうりんを封じて「公儀に返還す。呉坪太くれつぼた」と大書したる木札を打ち、唯、金銀、書画の類のみを四駄に負はせて高荷たかにに作り、屈竟くっきょう壮夫わかものに口を取らせ
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ここ年々の合戦つづきに、倉廩そうりんの貯えも、富めりとはいえないし、百姓の賦役ふえきも、まだ少しも軽くはなっておらない。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
星の数ほどある呉国の女のうちから、わずか二名をそれに用いることは、たとえば大樹の茂みから二葉の葉を落すよりやさしく、百千の倉廩そうりんから二粒の米を減らすより些少な犠牲でしょう。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
倉廩そうりんをひらいて施し、百姓の中の孝子や貞女を頌徳しょうとくし、老人には寿米じゅまいを恵むなど、善政をいたので、蜀の民は、劉璋時代の悪政とひきくらべて、新政府の徳をたたえ、業を楽しみ、歓びあう声
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)