“わたなべばし”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
渡辺橋75.0%
渡邊橋25.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
度をうしなった足利勢は、ただひとすじの退路渡辺橋わたなべばしへ、われがちにどっとしかかったが、馬は狂い、人と人はもつれあい、かき落されて淀川よどがわの激流へけ落ちたものが何百人かしれなかった
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
潰走かいそうする足利の大軍を追いかけ追いかけして、その頃の難波津なにわのつから渡辺橋わたなべばしのあたりまでよせて来たのが十一月の末、二十六日の夜明け方だったという。……ちょうど今夜のように寒かったろう」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
以て彌々いよ/\明十日大坂表御出立明後十一日京都御着の思召なれば其用意そのようい有べしとしたゝめ送れり頃は享保十一丙午年六月十日の早天さうてんに大坂渡邊橋わたなべばしの旅館を出立す其行列そのぎやうれつ以前に倍して行粧ぎやうさう善美ぜんび
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
渡邊橋わたなべばしの天一坊の旅館りよくわんつかはさる兩人は玄關げんくわんより案内あんないに及べば取次は遠藤ゑんどう東次右衞門なり出て挨拶あいさつに及ぶに兩人の與力よりきの申には我々は西にし町奉行松平日向守組與力くみよりきなるが天一坊殿に御重役ごぢうやく御意ぎよいたし少々御伺おうかゞひ申度儀ありと取次とりつぎの遠藤東次右衞門は早速さつそく奧へかくと通ぜんとまづ兩人を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)