“よしまさ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
義昌25.0%
義政25.0%
慶正8.3%
良政8.3%
吉正8.3%
良将8.3%
良正8.3%
顕正8.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
青山家の先祖が木曾にはいったのは、木曾義昌よしまさの時代で、おそらく福島の山村氏よりも古い。その後この地方の郷士ごうしとして馬籠その他数か村の代官を勤めたらしい。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
わづかに太平をたのしんだ将軍は、三代義満よしみつと八代義政よしまさくらゐであるが、義満は驕奢に耽つて、財政窮乏を切り抜けるため、明と屈辱外交を結んだり
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
一人は一ツ橋慶正よしまさ卿であり、一人は松平碩寿翁せきじゅおうであり、一人は刑部おさかべ老人であり、一人は巫女の千賀子なのであった。
生死卍巴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「これこれ何だ雲州のおやじ、いちいち極東のカリフ様だの、ご連枝様だのと呼ばないがよい。わしとお前とは話相手ではないか。わしの名を呼べ、慶正よしまさと呼べ」
生死卍巴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
渋江氏ではこの年感応寺かんのうじにおいて抽斎のために法要を営んだ。五百、保、矢島ゆたかくが、水木、比良野貞固さだかた、飯田良政よしまさらが来会した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
孫三郎は維新後静岡県の官吏になって、良政よしまさと称し、後また東京にって、下谷したや車坂町くるまざかちょうで終ったそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
殉死を願って許された十八人は寺本八左衛門直次なおつぐ、大塚喜兵衛種次たねつぐ、内藤長十郎元続もとつぐ、太田小十郎正信、原田十次郎之直ゆきなお宗像むなかた加兵衛景定かげさだ、同吉太夫きちだゆう景好かげよし、橋谷市蔵重次しげつぐ、井原十三郎吉正よしまさ、田中意徳
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そも我こそは桓武くわんむ天皇の後胤こういんに鎮守府将軍良将よしまさが子、相馬の小次郎将門まさかどなれ、承平天慶のむかしのうらみ、利根の川水日夜に流れて滔〻たう/\汨〻ゐつ/\千古れども未だ一念のあとを洗はねば
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
そのほか、良持の弟、良兼よしかね良正よしまさのふたりも、後見人として、のべつ来ていた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
多分御隠居(顕正よしまさ伯)の室にでもいるだろうと思ってこの事を家令に告げた。家令は御隠居のところに行って見たが其処にも夫人の姿は見えない。
芳川鎌子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)