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ひごのくに
ふりがな文庫
“ひごのくに”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句
割合
肥後国
80.0%
肥後國
20.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
肥後国
(逆引き)
某
(
それがし
)
致仕
(
ちし
)
候てより以来、当国
船岡山
(
ふなおかやま
)
の
西麓
(
さいろく
)
に形ばかりなる
草庵
(
そうあん
)
を営み
罷在
(
まかりあり
)
候えども、先主人
松向寺殿
(
しょうこうじどの
)
御
逝去
(
せいきょ
)
遊ばされて後、
肥後国
(
ひごのくに
)
八代
(
やつしろ
)
の城下を引払いたる
興津
(
おきつ
)
の一家は、同国
隈本
(
くまもと
)
の城下に在住候えば
興津弥五右衛門の遺書(初稿)
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
舟は
豊後国佐賀関
(
ぶんごのくにさがのせき
)
に着いた。
鶴崎
(
つるさき
)
を経て、
肥後国
(
ひごのくに
)
に入り、
阿蘇山
(
あそさん
)
の阿蘇神宮、熊本の
清正公
(
せいしょうこう
)
へ祈願に参って、熊本と高橋とを三日ずつ捜して、舟で
肥前国
(
ひぜんのくに
)
島原に渡った。そこに二日いて、長崎へ出た。
護持院原の敵討
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
ひごのくに(肥後国)の例文をもっと
(4作品)
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肥後國
(逆引き)
徊歴
(
くわいれき
)
し
肥後國
(
ひごのくに
)
熊本の
城下
(
じやうか
)
に到りぬ
爰
(
こゝ
)
は名に
負
(
おふ
)
五十四萬石なる
細川家
(
ほそかはけ
)
の城下なれば他所とは
替
(
かは
)
り
繁昌
(
はんじやう
)
の地なり寶澤は既に
路用
(
ろよう
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
乞
(
こひ
)
しに内よりは大音にて
何者
(
なにもの
)
なるや内へ
這入
(
はいる
)
べしといふ吉兵衞大いに
悦
(
よろこ
)
び内へ入りて申やう私し儀は
肥後國
(
ひごのくに
)
熊本の者なるが今日の
大雪
(
おほゆき
)
に
道
(
みち
)
踏迷
(
ふみまよ
)
ひ
難澁
(
なんじふ
)
いたす者なり
何卒
(
なにとぞ
)
御
情
(
なさけ
)
にて一
宿
(
しゆく
)
一
飯
(
ぱん
)
の
御惠
(
おんめぐみ
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
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