馬籠まごめ)” の例文
三十七ねんぐわつ十四幻翁げんおう望生ぼうせい二人ふたりとも馬籠まごめき、茶店ちやみせ荷物にもつ着物きものあづけてき、息子むすこ人夫にんぷたのんで、遺跡ゐせきむかつた。
馬籠まごめは木曾十一宿の一つで、この長い谿谷の尽きたところにある。西よりする木曾路の最初の入り口にあたる。そこは美濃境みのざかいにも近い。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
これから皆様御案内の通り福島を離れまして、の名高い寝覚ねざめの里をあとに致し、馬籠まごめに掛って落合おちあいへまいる間が、美濃みのと信濃の国境くにざかいでございます。
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
されど其道を過ぎんには、わがをさなき頃より夢に見つる馬籠まごめ驛の翠微すゐびは遂に一目をも寓するあたはざるなり。
秋の岐蘇路 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
藤村は、明治五年、長野県の馬籠まごめで生れた。家は馬籠の旧本陣で、そこの大規模な家の構え、召使いなどの有様は、「生い立ちの記」の中にこまかく描かれている。
藤村の文学にうつる自然 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
十日もためし草を一日にやいたような心地して、尼にでもなるより外なき身の行末をなげきしに、馬籠まごめに御病気と聞く途端、アッと驚くかたわらおろかな心からは看病するをうれし
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
はき是れどうしても泥棒どろぼうと云ふ看板かんばんを掛て居る樣なものだサア此方へ來いと直樣坂本の自身番へ引上しに出役岡村七兵衞馬籠まごめくら十郎の兩人ひかへ居る前へ久兵衞を引きすゑまづ雜物ざふもつ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
長者が馬籠まごめ峠の小路に掛かり、あざ男垂おたるという所まで来た時、三賊出でて竹槍で突き殺し、宝を奪い去った。その宝の中に黄金の鶏が一つ落ちて、川に流れて男垂の滝壺に入った。
あの馬籠まごめ峠の——女滝めたき男滝おたき滝津瀬たきつせには、まだあの時の、自分の泣き声と、武蔵の怒った声が、どうどうと、淙々そうそうむせび合って、そのまま二人の喰い違った気持を百年も千年も
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
妻籠つまご通り過ぐれば三日の間寸時も離れず馴れむつびし岐蘇きそ河に別れ行く。何となく名残惜まれて若し水の色だに見えやせんと木の間/\を覗きつゝ辿れば馬籠まごめ峠の麓に来る。馬を尋ぬれども居らず。
かけはしの記 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
中津川は美濃の國なり國境くにざかひ馬籠まごめと落合の間の十こくたふげといふ所なり國かはれば風俗も異なりて木曾道中淳朴じゆんぼくふうは木曾川の流と共にはなれてやゝ淫猥の臭氣あり言語ことばも岐阜と名古屋半交はんまぜとなり姿形すがたかたちも見よげになれり氣候も山を
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
馬籠まごめ峠を美濃に下る
長塚節歌集:2 中 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
もと/\馬籠まごめ(わたしの郷里)なぞは至つてひどいところで、古から困窮な宿であつたから、有徳者と言へるほどの者なぞ一向になく
桃の雫 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
餘程よほど大火おほびかなければ、馬籠まごめにてたるごとあとのこすものでない。かまどとか、とか、それくらゐため出來できたのではおそらくあるまい。
珠運しゅうん馬籠まごめに寒あたりして熱となり旅路の心細く二日ばかくるしむ所へ吉兵衛とおたつ尋ねきたり様々の骨折り、病のよきしおを見計らいて駕籠かご安泰に亀屋かめやへ引取り、夜の間も寐ずに美人の看病
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
昨日きのうからはぐれかけた——いや、馬籠まごめ女滝男滝めたきおたきからずっとれがちに彷徨さまよってばかりいた武蔵の心が——ふしぎにも今朝は、自分の歩むべき大道へ、しっかと返っている心地だった。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
隱し車に乘る表にたちて見るもの子供まじりに十四五人あり梅花道人我身に受けてグツト氣張り車やれとおつな調子なり妻籠つまご宿しゆくにて晝餉したゝ馬籠まごめの峠なれば車は二人曳にんびきならでは行かずそれもなか/\遲し馬にて越させ玉へと宿やどの主の心付けに荷を
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
馬籠まごめは風情多きしゆくなり。
秋の岐蘇路 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
つとめ久兵衞と申す者にて何も決してあやしき者には御座なく候と申すに馬籠まごめ岡村の兩人此包みは如何致したる品なるやと尋ねければ久兵衞はぬからぬかほにてヘイ是は下質したしちさげに參る品で御座りますと云ふに兩人ナニ下質へさげゆくかとコレ宜加減いゝかげんうそ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
馬籠まごめ宿しゅくで初めて酒を造ったのは、伏見屋でなくて、桝田屋ますだやであった。そこの初代と二代目の主人、惣右衛門そうえもん親子のものであった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
石器時代せききじだい現今げんこんごと陶器窯たうきがまつくつて、其所そこ土器どきいたかいなか、それは輕々かる/″\しく言切いひきれぬが、馬籠まごめける燒土層やけつちさう廣大くわうだいなるをて、うして桂舟畫伯けいしうぐわはくせついてると
こんど歩いたコースは、中央線辰野駅をふり出しに天龍川流域、飯田から山越えで、木曾谷へ出、馬籠まごめ附近、福島、駒ヶ嶽山麓、あのあたりの往古木曾道中をやって、松本へ戻ったのである。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
せめては御荷物なりとかつぎて三戸野みどの馬籠まごめあたりまで御肩を休ませ申したけれどそれもかなわず、こう云ううちにも叔父様帰られては面倒めんどう、どの様な事申さるゝか知れませぬ程にすげなく申すも御身おんみため
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
よきしゆくなりしならん大きな宿屋荒果あれはてあはれなりこゝに木曾義仲馬洗うまあらひの水といふ有りといへど見ず例の露伴子愛着の美人も尋ねずわづかに痩馬に一息させしのみにて亦驅けいだす此宿より美濃みの國境くにさかひ馬籠まごめまでの間の十三宿が即ち木曾と總稱する所なり誠に木曾にりしだけありてこれより景色けいしよく凡ならず谷深く山聳へ岩に觸るゝ水生茂おひしげる木皆な新たに生面を
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
ちょうど、そこへ会所の使いが福島の役所からの差紙さしがみを置いて行った。馬籠まごめ庄屋しょうやあてだ。おまんはそれを渡そうとして、おっとさがした。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
馬籠まごめの宿場の中央にある高札場の前あたりでは、諸国流行のうたのふしにつれて、調練のまねをする子供らの声が毎日のように起こった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
先年の馬籠まごめの大火にもその隠居所は焼け残って、筆者不明の大書をはりつけた襖の文字も吉左衛門には慰みの一つとなっている。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
うまるか、かごるか、さもなければあるいてたびをした以前いぜん木曾街道きそかいだう時分じぶんには、とうさんのうまれた神坂村みさかむらえき馬籠まごめひました。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
ある易者が来て馬籠まごめ旅籠屋はたごや逗留とうりゅうしていた。めずらしく半蔵は隣家の伊之助にそそのかされて、その旅やつれのした易者を見に行った。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
馬籠まごめむらはづれまでますと、そのたうげうへたかいところにもたがやしたはたけがありました。そこにも伯父をぢさんにこゑけるお百姓ひやくしやうがありました。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
そこは馬籠まごめの町内から万福寺の方へ通う田圃たんぼの間の寺道だ。笹屋ささや庄助しょうすけと小笹屋の勝之助の二人が半蔵を見かけて、声をかけた。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
馬籠まごめから上伊那の南殿村まで女の足では三日路というくらいのところだから、わざわざ諸道具なぞ持ち運ぶには及ばん、お粂の箪笥たんす、長持
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
もっとも、木曾の上四宿からは贄川にえがわの庄屋、中三宿からは福島の庄屋で、馬籠まごめから来た半蔵は下四宿の総代としてであった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
馬籠まごめのごとき峠の上の小駅ではお定めの人足二十五人を集めるにさえも、隣郷の山口村や湯舟沢村の加勢に待たねばならないことを思い出した。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
とうさんも馬籠まごめのやうなむらそだつた子供こどもです。山道やまみちあるくのにれてはます。それにしても、『みさやまたうげ』は見上みあげるやうなけはしい山坂やまさかでした。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
青山半蔵は馬籠まごめ本陣の方にいて、中津川にある二人ふたりの友人と同じように、西から進んで来る東山道軍を待ち受けた。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
どうやら彼はこの旅を果たし、供の平兵衛と共に馬籠まごめの宿をさして、西から木曾街道きそかいどうを帰って来る途中にある。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)