高槻たかつき)” の例文
ひるごろ茨木いばらきに着き、小憩しょうけいのあいだに、秀吉は諸方の情報を聞きあつめ、また前進をつづけ、茨木と高槻たかつきの中間、富田とんだに陣営をさだめた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いずれも力のはいる見物みもので、三十余組の勝負に時はようやく移って正午に一息つき、日のようやく傾く頃、武州高槻たかつき柳剛流りゅうごうりゅう師範あま某と
二度目に巡見した時は、城内の士卒の外に、尼崎あまがさき岸和田きしわだ高槻たかつきよどなどから繰り出した兵が到着してゐる。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
高等学校の入学試験にすべり、高槻たかつきの高医へ入学した時も、体格検査は最優良の成績だつた。
六白金星 (新字旧仮名) / 織田作之助(著)
なぜならば中国道には、老坂おいのさかの分れに限らず、この沓掛くつかけからも、右折すれば、大原野を経て山崎、高槻たかつきへ出ることはできるからであった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高槻たかつきの高山飛騨守ひだのかみせがれ……あれは十四歳の頃から切支丹に帰依した熱心家だそうだが……師父とは特別に親しかろうな」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
忠興ただおきの弟、興元も奉じているし、良人の友人で高槻たかつきの城主たる高山右近も入教している基督キリスト教であった。
「村重にしたがって、高槻たかつきの高山右近も、茨木いばらきの中川清秀も、義をとなえ、ともに叛旗はんきをひるがえした」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかも村重のきょに相継いで、摂津一帯の高槻たかつき高山右近たかやまうこんも、茨木いばらき中川清秀なかがわきよひでなども続々、反旗をひるがえしたというし、この中国においてすら、御着の小寺一族が
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊丹いたみ、池田、芥川あくたがわ、小清水、高槻たかつきなどの諸城も、次々に織田の掃討軍そうとうぐんの威力に整理されていった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高槻たかつき城の高山右近と、茨木いばらき城の城代中川清秀とは、伊丹を中心とする荒木村重の両翼だった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かかるうちにも、伊丹いたみ方面や高槻たかつき城あたりから、物見の報告は頻々とはいってくる。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わけて高槻たかつきの高山右近と茨木いばらきの中川瀬兵衛の二将は、在城の地も近いので、秀吉が尼ヶ崎辺に着いたと聞くと、すぐ一部の手勢をつれ、また各〻、ことし八歳ほどになる質子ちしともなって
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは高槻たかつきを過ぎたせつな。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)