顔昵懇かほなじみ)” の例文
で、眠さうな眼を大きくあいてその男を見た。そして吃驚びつくりした。男といふのは、かねて顔昵懇かほなじみの内田銀蔵博士であつた。
詩人が毎朝のやうに其辺そこらの森へ散歩に出かける癖があるのを聞いたので、度々たび/\こゝぞと思ふところへ待伏せして、やつと一週間目に、かねて写真版で顔昵懇かほなじみのこの詩人が
天国とはどんない所か知らないが、宮川氏にしてもまる顔昵懇かほなじみのない、加之おまけに言葉に不自由な西洋の人達と一緒ではさぞ困り物だらうといふと、広岡女史は牝牛めうしのやうな声で
米国の華盛頓ワシントンであつた事。——ある日、土地で名高い判事のKといふ男が、かね顔昵懇かほなじみの肉屋の店さきを通りかゝると、でつぷり肥つた店の主人が、いつもの愛嬌笑ひをしい/\
むかし公家くげなにがしが死にかゝつてゐると、不断顔昵懇かほなじみの坊さんが出て来て(医者が来るのが遅過ぎる時には、きつと坊主が来るのが早過ぎるものなのだ)枕頭まくらもと珠数じゆずをさらさら言はせながら
亡くなつた上田敏博士が京都大学に初めて来た頃谷本梨庵博士は文科の創設者として早くから京都の土を踏むでゐたから、高等師範以来このかた顔昵懇かほなじみといふので、色々京都についてお説教をしたものだ。
農夫ひやくしやうといふものは、蚯蚓みゝずのやうに土地にこびりついてゐるだけに、得て在所自慢をしたがるもので、この農夫ひやくしやうもかねて顔昵懇かほなじみの英吉利の農夫ひやくしやうを見ると、すぐに生れ故郷の自慢話をもち出したものだ。
福沢氏はそばに立つてゐる顔昵懇かほなじみの店員の一人を呼んだ。
内田大使は途中で顔昵懇かほなじみの男と色々世間話の末