重鎮じゅうちん)” の例文
此処の実業界の重鎮じゅうちんには仮髪かつらかぶっている禿頭はげあたまがある。用意周到な男で、刈り立てのと十日伸びのと二十日伸びのを持っている。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
信長公の図南西覇となんせいはの基点として、秀吉がその前駆ぜんくをうけたまわるところのもの。もそっと、雄大たらねばならん、重鎮じゅうちんの風を示さねばならん
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まちの中心は流石さすがに繁華で、東京の神楽坂かぐらざかくらいの趣きはあったが、しかし、まち全体としては、どこか、軽い感じで、日本の東北地方の重鎮じゅうちんとしてのどっしりした実力は稀薄きはくのように思われた。
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
帝政ロシア以来のソ連楽壇の重鎮じゅうちんであった。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
もっとも美代子さんのところでは家中がみんな大きな存在だ。お父さんは東都義太夫界の重鎮じゅうちん豊竹鐘太夫とよたけかねだゆう、内容から言っても恰幅かっぷく見ても、決して小さい存在でない。
心のアンテナ (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
北陸経営の重鎮じゅうちんは、ここに定められた。そのほかの布置を見ると、金森かなもり不破ふわ佐々さっさなどの諸将は各郡を配分し、前田又左衛門利家としいえにも、二郡を分け与えた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いずれにしても、武門としての菊池党は、九州豪族中での重鎮じゅうちんだった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「毛利家こそ、揺るぎない西国の重鎮じゅうちん
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、天下の重鎮じゅうちんではない。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)