重治しげはる)” の例文
その他に、美濃の大人物といえば、不破郡ふわごおり岩手いわての人、竹中半兵衛重治しげはるですが、これは数年前に、仔細あって、主家斎藤家へ出仕を
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉はその夜、播州ばんしゅうへ帰った。帰るに際して、京の南禅寺中にある竹中重治しげはるのところへ、そっと使いに一書を持たせてやった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
竹中半兵衛重治しげはるは、この辺に生れた。——生れたのは稲葉山だというが、幼少から、その多くは伊吹山麓さんろくの岩手で育った。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただ恨むらくは、かんじんな半兵衛重治しげはるが、相変らず壮健でない。そのため時々休講して、家中の者を失望させた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さして眉色びしょくもうごかさない半兵衛重治しげはるも、いまは子どもの首一つ求めて、それにかなう領下の者の子を見かけても、どうしても斬って帰ることができなかった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「……はい。お見しりおきくださいませ。兄重治しげはるへも、お眼かけていただきました。妹のゆうと申しまする」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
竹中久作は、兄の半兵衛重治しげはるが木下家に随身後、召し出されて、共に藤吉郎に仕えていた者である。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「竹中重治しげはるはいま、京の南禅寺に引きこもって、病気を療養中とか聞いたが、まだそれにおるのか」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
去年の秋以来、ここの僧房に籠って、ひたすら薬餌やくじと静養につとめていたびょう半兵衛重治しげはるである。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元来、半兵衛重治しげはるは、理には屈しぬが情にはもろい。彼の博識と智勇はかねて丹羽殿もよく知って、わしの顔をみるたびに、よい者を家中に持ったと日頃から羨望せんぼうしぬいておる。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まして熟慮に欠けることのない半兵衛重治しげはるでもあった。云い出しては、断じてひかない。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いま安土の城へのぼって来た半兵衛重治しげはるは、側に、官兵衛孝高の嫡子ちゃくし於松おまつをひきよせ、病後——いや病中とて、疲労はおもてにあらわれていたが、いつにない盛装をして、一歩一歩
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ええ。先頃まで、わたくしの師として、お仕え申していた菩提山ぼだいさん松琴尼しょうきんにさまは、秀吉さまもよく御存知の……いまは亡き竹中半兵衛重治しげはるさまの、お妹君でいらっしゃいますから」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
松寿丸しょうじゅまるは、半兵衛重治しげはるともなわれて、この平井山の味方へ初陣ういじんとして加わって以来、もう幾たびか戦場も駈け、生れて初めて、鉄砲槍の中も歩き、わずかな間に、見ちがえるほど、気丈きじょうとなり
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
竹中半兵衛重治しげはる。ご承知でもあろうが、美濃岩村の菩提山ぼだいさんの城主の子じゃ。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そちを使いとして、京に療養中の半兵衛重治しげはるへ、首を打って、伊丹へ送れと、申しつかわしてあったが……。その後、打ったとも、送ったとも、答えがない。そちは返答を聞いておったか」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)