トップ
>
道灌
>
どうかん
ふりがな文庫
“
道灌
(
どうかん
)” の例文
あの早稲田の学生であって、子規や僕らの俳友の藤野
古白
(
こはく
)
は姿見橋——太田
道灌
(
どうかん
)
の
山吹
(
やまぶき
)
の里の近所の——あたりの
素人
(
しろうと
)
屋にいた。
僕の昔
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
人馬の足を立てにくい蘆原の中へ、細長く突き出した丘の端に、太田
道灌
(
どうかん
)
は要害を構えたのである。下館などとも、もとの形に差別はない。
地名の研究
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
太田
道灌
(
どうかん
)
はじめ東国の城主たちは熱心な風雅擁護者で、従って東海道の風物はかなり連歌師の文章で当時の状況が
遺
(
のこ
)
されていると主人は語った。
東海道五十三次
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
ここらは以前の千代田村と日比谷村のあいだを通っている奥州街道の
田圃道
(
たんぼみち
)
が開けているので、もっと、江戸城の周囲に寄れば、太田
道灌
(
どうかん
)
以後
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
自分は便利のためにこれをここに引用する必要を感ずる——武蔵野は俗にいう
関
(
かん
)
八州の平野でもない。また
道灌
(
どうかん
)
が
傘
(
かさ
)
の代りに
山吹
(
やまぶき
)
の花を貰ったという歴史的の原でもない。
武蔵野
(新字新仮名)
/
国木田独歩
(著)
▼ もっと見る
依
(
よっ
)
て、そのころ、山城国稲荷山をうつして
勧請
(
かんじょう
)
したというのだが、お末社が幅をきかしてしまって、
道灌
(
どうかん
)
が祷ったという神の名も記してない。秀郷祀るところの御本体も置いてない。
旧聞日本橋:24 鬼眼鏡と鉄屑ぶとり(続旧聞日本橋・その三)
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
「てへへへへ、
道灌
(
どうかん
)
山のおきつねさまじゃ。きさまこそ、どこのこじき行者じゃ」
右門捕物帖:02 生首の進物
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
神世の昔××××様のお声がかりの港なんだから、いつから初まったか解かれねえ
位
(
くれえ
)
だ。ツイこの頃まで生きていた太田
道灌
(
どうかん
)
のお声がかりなんてえシミッタレた町たあ段式が違うんだ。
近世快人伝
(新字新仮名)
/
夢野久作
(著)
四苦八苦して、ふた月ばかりでこの「金明竹」が上がると、今度は「
道灌
(
どうかん
)
」。
寄席
(新字新仮名)
/
正岡容
(著)
(二)太田資正は
道灌
(
どうかん
)
の孫で三楽と号した。智謀あり、秀吉、家康に向って嗟嘆して曰く、「今
茲
(
ここ
)
に二つの不思議あり、君知れりや」と。家康曰く「一つは三楽ならん、二つは分らず」と。
川中島合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
南朝の
御世
(
みよ
)
の頃、新田
武蔵守
(
むさしのかみ
)
が
小手指
(
こてさし
)
ヶ原の合戦から駈け渡って、
足利
(
あしかが
)
方の矢かぜを浴びたのもこの辺りだし——近くは、天正の頃、太田
道灌
(
どうかん
)
の一族だの、千葉氏の一党が、幾たびも興り
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
道
常用漢字
小2
部首:⾡
12画
灌
漢検準1級
部首:⽔
20画
“道灌”で始まる語句
道灌山
道灌堀
道灌山道
道灌山裏