道灌どうかん)” の例文
あの早稲田の学生であって、子規や僕らの俳友の藤野古白こはくは姿見橋——太田道灌どうかん山吹やまぶきの里の近所の——あたりの素人しろうと屋にいた。
僕の昔 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
人馬の足を立てにくい蘆原の中へ、細長く突き出した丘の端に、太田道灌どうかんは要害を構えたのである。下館などとも、もとの形に差別はない。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
太田道灌どうかんはじめ東国の城主たちは熱心な風雅擁護者で、従って東海道の風物はかなり連歌師の文章で当時の状況がのこされていると主人は語った。
東海道五十三次 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
ここらは以前の千代田村と日比谷村のあいだを通っている奥州街道の田圃道たんぼみちが開けているので、もっと、江戸城の周囲に寄れば、太田道灌どうかん以後
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分は便利のためにこれをここに引用する必要を感ずる——武蔵野は俗にいうかん八州の平野でもない。また道灌どうかんかさの代りに山吹やまぶきの花を貰ったという歴史的の原でもない。
武蔵野 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
よって、そのころ、山城国稲荷山をうつして勧請かんじょうしたというのだが、お末社が幅をきかしてしまって、道灌どうかんが祷ったという神の名も記してない。秀郷祀るところの御本体も置いてない。
「てへへへへ、道灌どうかん山のおきつねさまじゃ。きさまこそ、どこのこじき行者じゃ」
神世の昔××××様のお声がかりの港なんだから、いつから初まったか解かれねえくれえだ。ツイこの頃まで生きていた太田道灌どうかんのお声がかりなんてえシミッタレた町たあ段式が違うんだ。
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
四苦八苦して、ふた月ばかりでこの「金明竹」が上がると、今度は「道灌どうかん」。
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
(二)太田資正は道灌どうかんの孫で三楽と号した。智謀あり、秀吉、家康に向って嗟嘆して曰く、「今ここに二つの不思議あり、君知れりや」と。家康曰く「一つは三楽ならん、二つは分らず」と。
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
南朝の御世みよの頃、新田武蔵守むさしのかみ小手指こてさしヶ原の合戦から駈け渡って、足利あしかが方の矢かぜを浴びたのもこの辺りだし——近くは、天正の頃、太田道灌どうかんの一族だの、千葉氏の一党が、幾たびも興り
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)