豫々かね/″\)” の例文
新字:予々
去程さるほど同心どうしん原田大右衞門松野文之助まつのぶんのすけの兩人いづれも旅裝束たびしやうぞくにて淺草三間町の自身番へ來りければ虎松も豫々かね/″\申付られしこと故支度したく
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「あ、豫々かね/″\噂に聽いた、錢形の親分か。それはよく來てくれました。娘分のお駒は可哀想だが、斯んな事になると、素人では手も足も出ない。さア、さア、どうぞ」
春三郎は時々盛春館の女將に聞いた事位の外に下宿屋に就て何の知識も無かつたのだが、愈〻の場合には萬事女將に周旋して貰ふ事に豫々かね/″\約束がしてあるので力強く返辭をした。
殺せしとの仰せなれども右平兵衞儀は豫々かね/″\世話にもあひなりをりしことゆゑ私し儀おんをこそ報い申べきに何の遺恨いこんありて切害せつがい致さんや又鎌倉屋金兵衞とやらを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
それから朝田屋の困るのにつけ込んで、うんと恩をきせたが、母親が頑張つてお縫と一緒にしてくれさうもないので、豫々かね/″\細々こま/″\たくらんだ筋書き通り殺したのだらう。
豫々かね/″\好きであつた文學の方に轉ずるやうになつた。
俳諧師 (旧字旧仮名) / 高浜虚子(著)
ぬぐひ私し弟十兵衞事は三州藤川在岩井村の百姓にて豫々かね/″\正直者しやうぢきものに候へ共不事の物いり打續き年貢の未進みしん多分たぶんに出來上納方に差支さしつかへ如何とも詮術せんすべなき儘文と申あね娘を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
夫は豫々かね/″\、『書いたものは人に見られることがあるから、遺して置き度くない。お前はこれだけのことを覺え込んで置くが宜い。わけがわかつても、わからなくても構はない』
眞物ほんものの高力左近太夫高長は、翌年二月、江戸上屋敷にひそんでゐるところを大目付に發見され、豫々かね/″\所領の仕置宜しからずとあつて、三萬七千石を沒收、身柄は仙臺藩に預けられ