角館かくのだて)” の例文
今の角館かくのだての仕事は、皮ににかわを塗り、これをこてで貼る手法である。そうしてこれが胴乱どうらんの如く木型を用いる場合と、箱類の如く木地を用いる場合と二種に分れる。
樺細工の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
秋田県も一般にナンバンドリであるが、またその声によってテロロと呼ぶ土地も多く、角館かくのだて附近ではテロロが鳴けば天気が好くなるというそうである(武藤鉄城君)。
廿一日に、中村憲吉君は校歌の話を為出しだした。校歌といふのは、秋田県角館かくのだて中学校の校歌を平福百穂画伯から嘱付して赤彦君に作つて貰ふことになつてゐた。それをふのである。
島木赤彦臨終記 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
この北国の山間に寂しく煙を立てて幾許いくばくかの焼物を焼き続けているのは奇蹟である。出来たものは近くの大曲おおまがり角館かくのだてに多少入るが多くは山間の部落へ散ってしまう。
現在の日本民窯 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
例えば秋田市の附近から角館かくのだての辺へかけてダンブリ花またインキグサという名が既に行われている。
角館かくのだて中学校の校歌の話になつたとき
島木赤彦臨終記 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
貧しい安ものを焼く小さな窯でありますが、東北第一と讃えても誤りはないでありましょう。つい先日まで角館かくのだて近くの栗沢くりさわにも窯がありましたが、今は煙が絶えました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
菅江真澄すがえますみ、本名は白井英二秀雄、天明の初年に二十八で故郷の三河国を出てしまってから、出羽でわ角館かくのだてで七十六歳をもって歿するまで、四十八回の正月を雪国の雪の中で
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
だがその中で性質が一番はっきりしている一つは角館かくのだて樺細工かばざいくである。樺細工は何も角館と限ったことはない。だがここほどその仕事が見事な発達を示している所はない。
樺細工の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
東北では羽後の角館かくのだてなどに、この草をゴシャギトンコという名が独立してある。
この仕事は他の国にもまれに見られますが、今は仙北せんぽく郡の角館かくのだて町に仕事のほとんど凡てが集りました。同じ国の大館町おおだてまちにもよい仕事が見られますが、仕事は角館ほど盛ではありません。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
最後は秋田の角館かくのだてで死んだが、墓は土崎にある。
故郷七十年 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
角館かくのだてでも作るが、もう生産が薄い。漆器は能代のしろに名を奪われている。
思い出す職人 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)