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蓼太
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りょうた
ふりがな文庫
“
蓼太
(
りょうた
)” の例文
景樹の歌がひどく
玉石混淆
(
ぎょくせきこんこう
)
である処は、俳人でいふと
蓼太
(
りょうた
)
に比するが適当と
被思
(
おもわれ
)
候。蓼太は雅俗巧拙の両極端を
具
(
そな
)
へた男でその句に両極端が現れをり候。
歌よみに与ふる書
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
嵐雪、吏登、
蓼太
(
りょうた
)
、完来、対山、梅年と云う順序だそうである。守一、通称は新蔵、
鶴歩庵
(
かくほあん
)
と云った。
細木香以
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
かつて「馬かりてかはる/″\に霞みけり」という
蓼太
(
りょうた
)
の句を講じた時、借馬であろうという解釈もあったが、「旅行」という前書によって、その場合が明になったことがある。
古句を観る
(新字新仮名)
/
柴田宵曲
(著)
見よ子規子の議論はしばしば矛盾を
来
(
きた
)
し、標準しばしば動揺を招けり、始め
大
(
おおい
)
に
蓼太
(
りょうた
)
をあげ後たちまち蓼太を
痛罵
(
つうば
)
し、前年は、歌は俳句の長きもの、俳句は歌の短きものとして
毫
(
ごう
)
も差支なしと論じ
絶対的人格:正岡先生論
(新字新仮名)
/
伊藤左千夫
(著)
活け
下手
(
べた
)
の椿に
彼方
(
あちら
)
向かれけり
蓼太
(
りょうた
)
俳句はかく解しかく味う
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
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景樹の歌がひどく
玉石混淆
(
ぎょくせきこんこう
)
であるところは俳人でいうと
蓼太
(
りょうた
)
に比するが適当と
被思
(
おもわれ
)
候。蓼太は雅俗巧拙の両極端を
具
(
そな
)
えた男でその句に両極端が現れ居候。
歌よみに与ふる書
(新字新仮名)
/
正岡子規
(著)
秋の風
芙蓉
(
ふよう
)
に雛を見つけたり
蓼太
(
りょうた
)
俳句とはどんなものか
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
そうして江戸の方はというと、
蓼太
(
りょうた
)
、
白雄
(
しらお
)
らが門戸を張ってやって居るので、雑兵こそ非常な人数であるけれど、到底京に敵するなどは思いもよらぬ有様である。
俳句上の京と江戸
(新字新仮名)
/
正岡子規
(著)
蕪村の
交
(
まじわ
)
りし俳人は
太祇
(
たいぎ
)
、
蓼太
(
りょうた
)
、
暁台
(
きょうたい
)
らにしてその中暁台は蕪村に擬したりとおぼしく、蓼太は時々ひそかに蕪村調を学びし事もあるべしといへども、太祇に至りては蕪村を導きしか
俳人蕪村
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
碧梧桐評の中にこの句は
乙二
(
おつに
)
調だとか、この句は
蓼太
(
りょうた
)
調だとかいふ事が、しかも二十句ばかり列挙してあつたのには驚いた。これは随分大胆な評で、殊に碧梧桐の短所ではあるまいか。
病牀六尺
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
蕪村の交わりし俳人は
太祇
(
たいぎ
)
、
蓼太
(
りょうた
)
、
暁台
(
ぎょうたい
)
らにしてそのうち暁台は蕪村に擬したりとおぼしく、蓼太は時々ひそかに蕪村調を学びしこともあるべしといえども、太祇に至りては蕪村を導きしか
俳人蕪村
(新字新仮名)
/
正岡子規
(著)
一、 世の中は三日見ぬ間に桜かな
蓼太
(
りょうた
)
俳諧大要
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
世の中は三日見ぬ間に桜かな
蓼太
(
りょうた
)
俳句の初歩
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
蓼
漢検1級
部首:⾋
14画
太
常用漢字
小2
部首:⼤
4画
“蓼”で始まる語句
蓼
蓼科
蓼酢
蓼白
蓼津
蓼科山
蓼中
蓼庵
蓼々
蓼川