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聖坂
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ひじりざか
ふりがな文庫
“
聖坂
(
ひじりざか
)” の例文
稽古場
(
けいこば
)
にあてられたのは三田の
聖坂
(
ひじりざか
)
にある、吉村と云う西洋楽器店の二階で、夫人はそこへ毎週二回、月曜日と金曜日に出張する。
痴人の愛
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
芝の山内を抜けて赤羽橋へ出、三田の通りの角から
聖坂
(
ひじりざか
)
を上らずに、あれから
三光町
(
さんこうちょう
)
へと取って、お寺や古い墓地の多い
谷間
(
たにあい
)
の道を歩いた。
桜の実の熟する時
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
神田川に沿って、
聖坂
(
ひじりざか
)
のほうへ歩きながら、去定は前を見たままそう訊いた。登のうしろで、
薬籠
(
やくろう
)
持ちの竹造が「へ」といった。自分が訊かれたと思ったらしい。
赤ひげ診療譚:04 三度目の正直
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
目黒
行人坂
(
ぎょうにんざか
)
の火事、これは
皆様方
(
みなさんがた
)
も御案内の事で、それに赤坂の今井谷から出まして、麻布十番から古川
雑色綱坂
(
ぞうしきつなざか
)
を焼払い、三田寺町、
聖坂
(
ひじりざか
)
から三
角
(
かく
)
へ掛け、田町へ出まして
塩原多助一代記
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
卒業の
後
(
のち
)
三田
聖坂
(
ひじりざか
)
に一戸をかまえて、横浜のある貿易商につとめていた。
竹本綾之助
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
▼ もっと見る
よく捨吉は岡つづきの地勢に沿うて古い寺や墓地の沢山にある
三光町
(
さんこうちょう
)
寄の
谷間
(
たにあい
)
を
迂回
(
うかい
)
することもあり、あるいは
高輪
(
たかなわ
)
の通りを
真直
(
まっすぐ
)
に
聖坂
(
ひじりざか
)
へと取って
新生
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
代二郎は十五歳の年に江戸へゆき、
聖坂
(
ひじりざか
)
の学問所へ通学するかたわら、
柳生
(
やぎゅう
)
の道場でも五年のあいだ修業した。久良馬は三年まえから柳生の道場へ入門していた。
初夜
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
学問は
聖坂
(
ひじりざか
)
へかよいましたし、武芸は道場が近いので
柳生
(
やぎゅう
)
さまでした、聖坂へはいまでも、ときどき日講を聞きにゆくようですが、どちらも成績はよかったようで
末っ子
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
人形町の
水天宮
(
すいてんぐう
)
前から
鎧橋
(
よろいばし
)
を渡り、繁華な町中の道を日影町へと取って芝の公園へ出、赤羽橋へかかり、三田の通りを折れまがり、長い
聖坂
(
ひじりざか
)
に添うて高輪台町へと登って行った。
桜の実の熟する時
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
よく捨吉は岡つづきの地勢に添うて古い寺や墓地の沢山にある
三光町寄
(
さんこうちょうより
)
の
谷間
(
たにあい
)
を
迂回
(
うかい
)
することもあり、あるいは高輪の通を
真直
(
まっすぐ
)
に
聖坂
(
ひじりざか
)
へと取って、それから遠く下町の方にある家を指して降りて行く。
桜の実の熟する時
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「そうだ、休之助とは
聖坂
(
ひじりざか
)
(学問所)での友達なんだ」
風流太平記
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
“聖坂”の解説
聖坂(ひじりざか)は東京都港区三田四丁目にある坂。田町側から上ると内陸側に、三田中学校、クウェート大使館、阿含宗関東別院が存在し、同方角から潮見坂、幽霊坂から注ぎ込む形で交差し、海側に済海寺、亀塚公園、御田八幡神社が存在する。そのまま進むと伊皿子坂と魚籃坂からなる道路と交差して二本榎通りと名称を変える。
(出典:Wikipedia)
聖
常用漢字
小6
部首:⽿
13画
坂
常用漢字
小3
部首:⼟
7画
“聖”で始まる語句
聖
聖母
聖書
聖人
聖天
聖像
聖護院
聖者
聖旨
聖武