トップ
>
矩
>
のり
ふりがな文庫
“
矩
(
のり
)” の例文
然るに孔子さえも七十になって始めてこの域に達したので、五十、六十まではまだ心の欲する通り行うこと、
矩
(
のり
)
を
踰
(
こ
)
えたであろう。
デモクラシーの要素
(新字新仮名)
/
新渡戸稲造
(著)
四十にして
惑
(
まど
)
わず。五十にして天命を知る。六十にして耳
順
(
したが
)
う。七十にして心の欲する所に従えども
矩
(
のり
)
を
踰
(
こ
)
えずと。——為政篇——
論語物語
(新字新仮名)
/
下村湖人
(著)
婦人は此言をなし
畢
(
をは
)
りて、
纔
(
わづか
)
におのれの擧動の
矩
(
のり
)
を
踰
(
こ
)
えたるを
曉
(
さと
)
れりとおぼしく、
臉
(
かほ
)
に火の如き
紅
(
くれなゐ
)
を
上
(
のぼ
)
して席をすべり出でぬ。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
六十にして
耳順
(
した
)
がい、七十にして心の欲する所に従って
矩
(
のり
)
を
踰
(
こ
)
えずと言った、老るに従って益々識高く徳進んだのである。
死生
(新字新仮名)
/
幸徳秋水
(著)
ただ
矩
(
のり
)
を
踰
(
こ
)
えざる段階のみは常人の生涯に適用せられない。そうしてその適用せられないことにも深い味がある。
孔子
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
▼ もっと見る
孔子が心の欲するところに従うて
矩
(
のり
)
を
踰
(
こ
)
えずといったごとく、自然のままに行ないしことがただちに徳に適ってるときその人は真に徳を会得しているといい得る。
愛と認識との出発
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
己れの欲するところに従つて
矩
(
のり
)
を超えないことなどを願ふまへに、おのれの欲するところに従へるといふ自由さが得られさへしたら、どんな犠牲を払つても惜しくないといふ気がする。
人間カザノヴァの輪郭
(新字旧仮名)
/
岸田国士
(著)
きりりと締つて或る
矩
(
のり
)
を
踰
(
こ
)
えない実際家的な肌合が、そこに現はれてゐる。
灰色の眼の女
(新字旧仮名)
/
神西清
(著)
孔子は「心の欲する所に従うて
矩
(
のり
)
を
踰
(
こ
)
えず」といわれたのである。
善の研究
(新字新仮名)
/
西田幾多郎
(著)
「唯
矩
(
のり
)
を越えないことよ」
四十不惑
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
孔子は「心の欲するところに従って
矩
(
のり
)
を
踰
(
こ
)
えず」といったが、心の欲するところには従うけれども、
矩
(
のり
)
を
踰
(
こ
)
えないという方は無視するというのでは困る。
青年の思索のために
(新字新仮名)
/
下村湖人
(著)
外部の
矩
(
のり
)
は守り
易
(
やす
)
い。また
悉
(
ことごと
)
くこれを守ったところがその人は平凡な国民あるいは臣民たるに過ぎない。
自由の真髄
(新字新仮名)
/
新渡戸稲造
(著)
子曰く、
吾
(
われ
)
十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして
惑
(
まど
)
わず、五十にして天命を知る、六十にして耳
順
(
したが
)
う、七十にして心の欲する所に従って
矩
(
のり
)
を
踰
(
こ
)
えず。
孔子
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
孔子も、五十にして天命を知り、六十にして耳したがい、七十にして心の欲するところにしたがい
矩
(
のり
)
をこえず、といった。老いるにしたがって、ますます識高く、徳がすすんだのである。
死刑の前
(新字新仮名)
/
幸徳秋水
(著)
本当の良心の自由というのは、心の欲するところに従って
矩
(
のり
)
を踰えないというところまで行かなければならない。
青年の思索のために
(新字新仮名)
/
下村湖人
(著)
論語にある「
己
(
おのれ
)
の欲するところに従えども
矩
(
のり
)
を
踰
(
こ
)
えず」の一句こそ実に自由の定義を
能
(
よ
)
く述べて尽したものであると前号に説明し、
然
(
しか
)
らば矩とは何なるかと反問し
自由の真髄
(新字新仮名)
/
新渡戸稲造
(著)
孔子の「心の欲する所に従えども
矩
(
のり
)
を
踰
(
こ
)
えず」
デモクラシーの要素
(新字新仮名)
/
新渡戸稲造
(著)
矩
漢検準1級
部首:⽮
10画
“矩”を含む語句
規矩
亀井茲矩
矩尺
矩形
宗矩
但馬守宗矩
重矩
規矩準縄
矩奢
清瀬規矩雄君
矩子
矩摩羅
矩方
矩行
絜矩
絜矩之道
茲矩
規矩法
規矩準繩
規矩繩墨
...