矢矧やはぎ)” の例文
「まあ、思いがけぬ御縁ですこと。さいぜん、矢矧やはぎの長者の娘と仰っしゃっておいででしたが、まことは、どなた様でございましょうなあ」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
矢矧やはぎの橋の強盗は太閤記にも出所のない全くの俗伝で、もとより取るに足らないことではあるが、当時の野武士にそんな事は珍らしくなかったのであろう。
「宮本捨吉明治三十年奉納」の豊公幼時の胆と矢矧やはぎの橋の上の小六の槍の石づきをとらえている小さいごろつきのような豊公の絵があって大笑いしました。
一度は藤川から出発し岡崎で藤吉郎の矢矧やはぎの橋を見物し、池鯉鮒ちりうの町はずれに在る八つ橋の古趾を探ねようというのであった。大根の花もさやになっている時分であった。
東海道五十三次 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
矢矧やはぎの橋の長いには驚かされた。それを渡ると、浄瑠璃姫の古跡があって、そこに十王堂があった。私はかつて見た錦画の、姫が琴をひき、牛若が笛を吹いている処を思い出した。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
一人は逃げ出したが、よほどあわてたとみえて、橋桁はしげたたもとへ、盲とんぼのようにぶつかり、そのまま矢矧やはぎの大橋を、のめるように駈けて行った。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「猿とのみで、名も知らねば、どこの馬の骨かも知れぬのを、矢矧やはぎ川のあたりで、拾うて来て召し使っていたことがある」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
矢矧やはぎ川の水が広く見えて来た。ここへ出ると、夜明けのように仄明ほのあかるかった。編笠のふちに、川風がびゅっと鳴って行く。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
頭目かしらの小六正勝様について、一党数十名で、こよい矢矧やはぎへかかったが、舟がない。そこで渡舟わたしを探し求めているうち、おのれの舟を見つけたのだ
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いて求めれば、ゆうべ矢矧やはぎの辺りで家中らしい黒扮装くろいでたちの卑怯者を、二人も斬り捨てたので、それを取り上げて、何か難題を迫るのではなかろうか。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
くれてやろう。そして、三河の矢矧やはぎまで退き、ちと面目ないが、兄上(尊氏)のおさしず如何あるか、生きるも死ぬも、それを待っての上としようではないか
尊氏が、無断、都を発したあと朝議紛々ふんぷんの結果ではあろうが、追っかけに、彼が矢矧やはぎについた日の頃
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もちろん、実戦でもそのいきを越えてはならん。——はや高ノ師泰を先鋒せんぽうにやったそうだが、その師泰の軍勢にも、三河の矢矧やはぎから西へは進み出るなと固くいましめておけ。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
官軍は、十一月の二十五日、三河の矢矧やはぎまで来て、はじめて足利勢の抵抗をうけた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この小六正和まさかずというのは、矢矧やはぎの橋で少年秀吉の面だましいを見て拾って行ったという伝説のある、あの小六正勝の父にあたる人物であるが、道三秀龍が、蜂須賀むらの一郷士の軒下に
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十年前の矢矧やはぎ川の一夜を、小六は今、はっきり思い出した。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「わかった。矢矧やはぎ長者ちょうじゃのむすめだそうな」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)