病牀びょうしょう)” の例文
朝六時半病牀びょうしょう眠起。家人暖炉だんろく。新聞を見る。昨日帝国議会停会を命ぜられし時の記事あり。繃帯ほうたいを取りかふ。かゆわんすする。梅の俳句をけみす。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
これも回復期に向いた頃、病牀びょうしょう徒然つれづれに看護婦と世間話をしたついでに、彼等の口からじかに聞いたたよりである。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
余ははじめて病牀びょうしょうに侍するエリスを見て、その変わりたる姿に驚きぬ。彼はこの数週のうちにいたくせて、血走りし目はくぼみ、灰色のほおは落ちたり。
舞姫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ほのかな灯影ほかげ病牀びょうしょう几帳きちょうをとおしてさしていたから、あるいは見えることがあろうかと静かに寄って几帳のほころびからのぞくと、明るくはない光の中に昔の恋人の姿があった。
源氏物語:14 澪標 (新字新仮名) / 紫式部(著)
明治四十年の六月、突然急痾きゅうあに犯されてほとんど七十余日間病牀びょうしょうの人となった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
病牀びょうしょうにありながら、三たび教授の多元的宇宙を取り上げたのは、教授が死んでから幾日目いつかめになるだろう。今から顧みると当時の余は恐ろしく衰弱していた。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
勝三郎は病がとかく佳候かこうを呈せなかったが、当時なお杖にたすけられて寺門じもんで、勝久らに近傍の故蹟を見せることが出来た。勝久は遊覧の記を作って、病牀びょうしょう慰草なぐさみぐさにもといっておくった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
人の希望は初め漠然として大きく後ようやく小さく確実になるならひなり。我病牀びょうしょうにおける希望は初めより極めて小さく、遠く歩行あるき得ずともよし、庭の内だに歩行き得ばといひしは四、五年前の事なり。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
それにもかかわらず、回復期に向った余は、病牀びょうしょうの上に寝ながら、しばしばドストイェフスキーの事を考えた。ことに彼が死の宣告からよみがえった最後の一幕を眼に浮べた。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
多紀安琢あんたくおなじく元佶げんきつ、伊沢柏軒、山田椿庭ちんていらが病牀びょうしょうに侍して治療の手段を尽したが、功を奏せなかった。椿庭、名は業広ぎょうこう、通称は昌栄しょうえいである。抽斎の父允成ただしげの門人で、允成の歿後抽斎に従学した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)