“渭水(いすい)” の例文
政陽(せいよう)郡の東南に法喜寺(ほうきじ)という寺があって、まさに渭水(いすい)の西に当っていた。唐の元和(げんな)の末年に、その寺の僧がしばしば同じ夢をみた。
彼の部下も今では、故国の蜀を恋う者が多く、祁山(きざん)渭水(いすい)の戦況を聞くにつけ、なぜ蜀を離れたかを、今ではいたく後悔している。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
渭水(いすい)に釣り糸をたれているところへ、周の文王という人が狩にきて出会い、話してみるとりっぱな人物。
江戸前の釣り (新字新仮名) / 三遊亭金馬(著)
「後学のため、伺いますが。——合戦の初めに、馬超の軍勢は、潼関(どうかん)に拠(よ)っていましたから、渭水(いすい)の北は遮断された形でした」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして間もなく渭水(いすい)の岸へ陣地をうつしたが、以来慙愧(ざんき)にせめられて、病に籠り、陣頭にすがたを見せなくなってしまった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家来、五、六騎と共に、そっと渭水(いすい)を越えて、魏軍へ投じてしまったのである。そして司馬懿(しばい)の前にひざまずいてさんざんに孔明を悪くいった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
黄河(こうが)の上流にあたり、渭水(いすい)の下流に位置し、旧(ふる)き呉(ご)や楚(そ)の国と隣りあい、遠くは斉(せい)と魯(ろ)の境につらなる水陸の要衝だった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「じつは、わが輩はもと渭水(いすい)で提轄(ていかつ)(憲兵)をしておった魯(ろ)という者だ。そういう裁きには手馴れている。わが輩を娘御(むすめご)の部屋へ案内するがいい」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とも知らず、曹操は、大軍を三分して、渭水(いすい)のながれに添い、まず一手を上流の北から渡して、その成功を見とどけ
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弟分の助太刀に出てきた頭目というやつは、なんと、渭水(いすい)の街の膏薬(こうやく)売り——あの打虎将(だこしょう)ノ李忠(りちゅう)であった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
渭水(いすい)の流れがたちまち赤く変じたのでも分る。浮きつ沈みつ流れてくる人馬はほとんど魏(ぎ)の兵であった。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
むかし、周の文王が、渭水(いすい)に行って、太公望をたずねたとき、太公望は釣糸を垂れていて、かえりみもしなかった。文王はそのうしろにたったまま、釣を邪(さまた)げず、日の暮れるまで待っていたという。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)