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正徳
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しやうとく
其上、綱宗は品川の屋敷に
蟄居して以来、仙台へは往かずに、
天和三年に四十四歳で
剃髪して
嘉心と号し、
正徳元年六月六日に七十二歳で歿した。
して居たりけり然るに
正徳三年
癸巳の三月四日例年の事とて
兩替并びに
質古着渡世の仲間の
參會有皆々兩國の萬八樓へ集まりけるが伊勢屋五兵衞も
仲間内とて
月行事より其の趣きの
回状のありし
折節五兵衞は店に手の
拔られぬ帳合有りとて
悴千太郎を
かんじける
誠正直理非全ふして
糸筋の別れたるが如くなりしとかや其後
正徳六年四月
晦日將軍家繼公御多界まし/\
則有章院殿と號し奉る御
繼子無是によつて御三家より
御養子なり
東照宮に御
血脉近きによつて御三家の内にても
尾州公紀州公御兩家
御帶座にて則ち紀州公
上座に
直り給ふ此君
仁義兼徳にまし/\
吉宗公と申
將軍となり給ふ
其後諸侯の心を