モリ)” の例文
「もり」は丘陵の事である。高地に神の降るのが原則である為の名に違ひない。其が、内地のモリと同じ内容を持つ事になつたのである。
琉球の宗教 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
目をあげると、東の方春日のモリは、谷陰になつて、こゝからは見えぬが、御蓋ミカサ山・高圓タカマド山一帶、頂が晴れて、すばらしい春日和になつて居た。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫釈迢空(著)
目をあげると、東の方春日のモリは、谷陰になつて、こゝからは見えぬが、御カサ山・高圓タカマド山一帶、頂が晴れて、すばらしい春日和になつて居た。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
目をあげると、東の方春日カスガモリは、谷陰になつて、こゝからは見えぬが、御蓋ミカサ山・高円タカマド山一帯、頂が晴れて、すばらしい春日和ハルビヨリになつて居た。
死者の書 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
都に呼びよせられた時、母の恋しさに、和泉国信太モリへ尋ねて行つて拝んで居ると、年経る狐が姿を顕した。其が、晴明の母の正体だつたといふのである。
信太妻の話 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
「思はぬを思ふと言はゞ、真鳥栖む雲梯ウナテモリの神しるらむ」(万葉集巻十二、三一〇〇)とあるのなども一つで、神罰を附けて語の偽りなきを証するのは、やはり古意ではなかつた。
モリ神南備カムナビなどは、社殿のないのが本体で、社あるは、ヤカガミ或は、梯立で昇り降りするほくらの神から始まるのである。社ある神と、ない神とが、同時に存在したのは、事実である。
琉球の宗教 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)