旧廬きゅうろ)” の例文
今ではその跡にバラック住いをして旧廬きゅうろの再興を志ざしているが、再興されても先代の椿岳ちんがく手沢しゅたくの存する梵雲庵ぼんうんあんが復活するのではない。
瓦解以前に徳川政府の使命を帯びフランスにおもむいた喜多村瑞見なぞはその広い見聞の知識を携え帰って来て、本所北二葉町の旧廬きゅうろから身を起こし
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
しかしこれらは皆すでにだいがかわって現に人が這入はいっているから見物は出来ぬ。ただカーライルの旧廬きゅうろのみは六ペンスを払えば何人なんびとでもまた何時なんどきでも随意に観覧が出来る。
カーライル博物館 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
築地に在る事一年半ばかり、更に今住む麻布の家に移ってからも、曝書の折々、わたしは日頃繙く事を忘れていた書冊の間から旧廬きゅうろの落葉を発見して、覚えず愁然とする事がある。
写況雑記 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
半蔵の学友、蜂谷香蔵はちやこうぞう、今こそあの同門の道づれも郷里中津川の旧廬きゅうろ帰臥きがしているが、これも神祇局時代には権少史ごんしょうしとして師の仕事を助けたものである。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
二十年前までは椿岳の旧廬きゅうろたる梵雲庵の画房の戸棚の隅には椿岳の遺作が薦縄搦こもなわからげとなっていた。余り沢山あるのでえんの下にほうり込まれていたものもあった。
地震で焼けた向島むこうじまの梵雲庵は即ち椿岳の旧廬きゅうろであるが、玄関の額もれんも自製なら、前栽せんざい小笹おざさの中へ板碑や塔婆を無造作に排置したのもまた椿岳独特の工風くふうであった。