かたわ)” の例文
その中で米原雲海など頭を出している位で、然し米原雲海はもともと出雲にいた時本職大工のかたわら既に彫刻をやっていて相当出来ていた。
回想録 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
日曜日で自分の内にいるのをうかがっていてしゃべり出したかと思われる。わば天下に呼号して、かたわら石田をして聞かしめんとするのである。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
外国語を重要課目としてかたわら洋楽及び舞踏を教え、直轄女学校の学生には洋装せしめ、高等女学校には欧風寄宿舎を設け、英国婦人の監督の下に欧風生活を実習させて
供養万出、以テソノ力ヲ尽スモ参価ナホ償フコトあたハズ。先生かたわ方技ほうぎニ通ズ。ここニオイテ卒然トシテ医ニぐうス。尾公ノ愛姫病メリ。先生ヲシテセシムルニ一劑ニシテユ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すなわち前に記した文部省発行の『植学浅解』の緒言中に「因テ今国字ヲ以テ英人リンドレー氏ノ学校本草〔牧野いう Lindley の著 School Botany である〕ヲ訳シかたわラ他ノ本草書ヲ参考シテ」
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
『魁新聞』には山田脩がともに入社し、『真砂新聞』には森枳園きえんが共に加盟した。枳園は文部省の官吏として、医学校、工学寮等に通勤しつつ、かたわら新聞社に寄稿したのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
(この画は先年淡島家の売立てに出たので今は誰の所有に帰しているか解らぬ。)椿年歿して後は高久隆古たかくりゅうこに就き、隆古が死んでからは専ら倭絵やまとえ粉本ふんぽんについて自得し、かたわ容斎ようさいおしえを受けた。
わかくして京師けいしに遊学しかたわら中島棕隠、頼山陽の二家について詩を学び、文政六年頃、その年二十五、六歳にして江戸に来り、上野東叡山の学寮に入りまた詩を大窪詩仏、大沼竹渓について学んだ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
が、二葉亭が自ら本領を任ずる国際または経済的方面の研究調査にはやはり少しも同感しないで、二葉亭の不平を融和するかたわら、機会あるごとに力を文学方面に伸ばさしめようと婉曲えんきょく慫慂しょうようした。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)