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旁
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かたわ
ふりがな文庫
“
旁
(
かたわ
)” の例文
その中で米原雲海など頭を出している位で、然し米原雲海はもともと出雲にいた時本職大工の
旁
(
かたわ
)
ら既に彫刻をやっていて相当出来ていた。
回想録
(新字新仮名)
/
高村光太郎
(著)
日曜日で自分の内にいるのを
候
(
うかが
)
っていてしゃべり出したかと思われる。
謂
(
い
)
わば天下に呼号して、
旁
(
かたわ
)
ら石田をして聞かしめんとするのである。
鶏
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
外国語を重要課目として
旁
(
かたわ
)
ら洋楽及び舞踏を教え、直轄女学校の学生には洋装せしめ、高等女学校には欧風寄宿舎を設け、英国婦人の監督の下に欧風生活を実習させて
四十年前:――新文学の曙光――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
供養万出、以テソノ力ヲ尽スモ参価ナホ償フコト
能
(
あた
)
ハズ。先生
旁
(
かたわ
)
ラ
方技
(
ほうぎ
)
ニ通ズ。
是
(
ここ
)
ニオイテ卒然トシテ医ニ
寓
(
ぐう
)
ス。尾公ノ愛姫病メリ。先生ヲシテ
診
(
み
)
セシムルニ一劑ニシテ
癒
(
い
)
ユ。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
すなわち前に記した文部省発行の『植学浅解』の緒言中に「因テ今国字ヲ以テ英人リンドレー氏ノ学校本草〔牧野いう Lindley の著 School Botany である〕ヲ訳シ
旁
(
かたわ
)
ラ他ノ本草書ヲ参考シテ」
植物記
(新字新仮名)
/
牧野富太郎
(著)
▼ もっと見る
『魁新聞』には山田脩が
倶
(
とも
)
に入社し、『真砂新聞』には森
枳園
(
きえん
)
が共に加盟した。枳園は文部省の官吏として、医学校、工学寮等に通勤しつつ、
旁
(
かたわ
)
ら新聞社に寄稿したのである。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
(この画は先年淡島家の売立てに出たので今は誰の所有に帰しているか解らぬ。)椿年歿して後は
高久隆古
(
たかくりゅうこ
)
に就き、隆古が死んでからは専ら
倭絵
(
やまとえ
)
の
粉本
(
ふんぽん
)
について自得し、
旁
(
かたわ
)
ら
容斎
(
ようさい
)
の
教
(
おしえ
)
を受けた。
淡島椿岳:――過渡期の文化が産出した画界のハイブリッド――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
少
(
わか
)
くして
京師
(
けいし
)
に遊学し
旁
(
かたわ
)
ら中島棕隠、頼山陽の二家について詩を学び、文政六年頃、その年二十五、六歳にして江戸に来り、上野東叡山の学寮に入りまた詩を大窪詩仏、大沼竹渓について学んだ。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
が、二葉亭が自ら本領を任ずる国際または経済的方面の研究調査にはやはり少しも同感しないで、二葉亭の不平を融和する
旁
(
かたわ
)
ら、機会あるごとに力を文学方面に伸ばさしめようと
婉曲
(
えんきょく
)
に
慫慂
(
しょうよう
)
した。
二葉亭四迷の一生
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
“旁”の解説
旁(つくり)とは、偏旁において漢字を構成するもののひとつ。主に漢字の右半分がこれに当たる。部首となるものと、偏の構成部分(声符となるものが多い)となるものがある。
(出典:Wikipedia)
旁
漢検1級
部首:⽅
10画
“旁”を含む語句
旁〻
取旁付
旁々
旁証
路旁生命水清流
旁人
氏旁
旁水
旁看
旁等
旁若無人
旁故
涼旁
社旁
羽檄旁午
謗書旁午
連絡旁々
旁板
旁旁
偏旁
...