戌刻いつつ)” の例文
藤枝蔵人老人が三河屋を出たのは、それから一刻いっとき(二時間)も後——ツイ二三町の自分の家へ帰ったのは、戌刻いつつ半(九時)過ぎ——。
一応たずねてみましたが、店の大戸を閉めたのは戌刻いつつ(八時)、それから誰も出なかったという言葉に間違いがあろうと思われません。
「ところが、不思議なことに戌刻いつつ(八時)少し前に持って行くと、お舟も和助も——二人とも居なかったというじゃありませんか」
かけさせて、小銭がないから今晩戌刻いつつ(八時)の鐘が鳴ったら、筋違見附すじかいみつけの側まで、簪を持って金を受取りに来てくれと言った——
義理一ぺんの客が帰って、親しい人達だけ残ったのは戌刻いつつ半(九時)過ぎ、これからまた盃を改めて、夜と共に騒ごうという時
戌刻いつつには潜りの大海老錠えびじょうをおろします。それから先は私が開けにかからなければ、外からは入れないことになって居ります」
昨夜酉刻むつ(六時)から戌刻いつつ(八時)までの間、御門の締る前後、詳しく言えば御蔵の戸前に錠をおろす前後の、ほんのちょっとしたすきにやられた。
「ヘエ——、金の勘定などを奉公人は見るものじゃないって叱られます。戌刻いつつ半(午後九時)から先は旦那の部屋へ行かないことにしているんです」
今考えてみると、それも私を狙う者の細工だったかも知れませんが、とにかく、身体が明いてホッとしたのは、戌刻いつつ半(九時)過ぎじゃございませんか
「梶さんがお出かけになったのは戌刻いつつ(午後八時)少し過ぎ、お嬢さんがお出かけになったのは、それからまた四半刻しはんとき(三十分)も後でございました」
「お吉さんが引揚げたのは戌刻いつつ(八時)頃で、番頭さんはそれから間もなく引揚げました。雪の降り出す前で——」
先刻さっきは、よくも俺をだましたな、昨夜酉刻むつ半(七時)過ぎから戌刻いつつ過ぎまで、この家に二人とも居なかったはずだ」
「家を出たのは戌刻いつつ(八時)頃、近いところですからブラブラ行って、亥刻よつ(十時)ぎりぎりに帰って参りました」
「ヘエ、——お町は戌刻いつつ(八時)少し前に殺されたって話ですから、その時分私は町内の銭湯へ行っていましたよ」
銭形の平次が竪川の材木置場に駆け付けたのは、戌刻いつつ半(九時)そこそこ、思いの外の成績ですが、それでも、ガラッ八よりは四半刻近くも遅れました。
その晩平次が帰ったのは戌刻いつつ(八時)過ぎ、珍しく一合付けさして、陶然としながら、こんな事を言いました。
店が閉ってから、大抵戌刻いつつ半から亥刻よつ(十時)の間だそうです。曲者は家の中に決っているから、離屋に居る寺本山平は勘定に及ばないじゃありませんか。
戌刻いつつ半(九時)ごろ小台の方から堤の上に提灯ちょうちんが六つ出て、そいつが行儀よく千住せんじゅの方へ土手を練ったんで、川向うの尾久おぐは祭のような騒ぎだったそうですよ
もう戌刻いつつ(八時)過ぎ、夕方から吹き始めた名物のからかぜに、頬も鼻も、千切れて飛びそうな寒さですが、平次の探求心はかえって火のごとく燃えさかります。
「昨夜は風呂が立たなかったので、町風呂へ行ったようでございました。小半刻経って、戌刻いつつ(八時)過ぎになってから、いい心持にうだって帰って来ましたが」
「悪くなったわけじゃないが、呼びもしないのに閑斎が来て、戌刻いつつ過ぎまで無駄話をしていたそうですよ」
「宵のうちのことはわかりません、お勝手で仕事をしてますから。——戌刻いつつ半(九時)から先は、金五郎親方と岩吉さんの外には誰も入って来なかったようです」
フラリと柳原土手を帰って来たのは戌刻いつつ(八時)過ぎ、人通りのハタと絶えたところへ来ると、いきなり闇の中から飛出して、ドカンと突き当ったものがあります。
といったような取りなし、これは馴れ合いずくですから、平次も遠慮するようなしないような、ズルズルベッタリさかずきめていると、やがて戌刻いつつ(八時)という頃。
昨夜の戌刻いつつ(八時)過ぎ、私は二階の私達の部屋で、箪笥たんすの中などを片付けてをりました。三日前の花見衣裳が、乾したまんまで、まだよく片付いて居なかつたんです。
その晩の戌刻いつつ半(九時)頃、この一行は回向院の寺内に入り、そこでお通夜が営まれたのです。
下げてブラリと出たのは、店が閉ってから——戌刻いつつ半(九時)自分でございました。清六どんは恐ろしい湯好きで、内風呂の立たない晩は、かならず町内のともえ風呂へ参ります
とっさんはどこへも出はしません。戌刻いつつ半(午後九時)頃までお店に居て、それから休みました。奉公人が五人も居りますから、誰にも知れないようには外へ出られません」
銭形平次捕物控:050 碁敵 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
そのうち一番先に戌刻いつつ半(九時)頃伝吉の家の灯が点いて、間もなく周助が帰って来た、周助が帰って四半刻(三十分)もすると、寝てしまった様子で周助の家の灯が消え
あの晩宇八は、酉刻むつ半(七時)に芝口二丁目の棟梁喜之助の家を出て、戌刻いつつ半(九時)過ぎに宇田川町の相模屋へ行くまで、ざっと一刻の間の足取りがわからなかった筈だ。
それからいろいろの手順を運んで、神田の平次のところへ帰ったのは夜の戌刻いつつ半(九時)頃。
「え、戌刻いつつ(八時)前に、空模様が悪くなったんで、つづけざまに揚げきったようですよ」
「言いましたよ、——銭形の親分に約束したが時刻もちょうど戌刻いつつ(八時)だ、——って」
酉刻むつ半(七時)——いや戌刻いつつ(八時)近かったかな。小僧の三吉がよく知っているよ」
「どうだい八兄哥、これじゃ昨夜戌刻いつつから亥刻よつ(八時から十時)までこの家に居た者で、人の頸へ正面から三寸も出刃を突き立てる力のある者が怪しいということになるだろう」
「あっしは早寝で、戌刻いつつ半(九時)には床の中へもぐり込んだくらいですから、うとうとしていて、よくは知りませんが、お祭りの笛だか、口笛だか、聞いたような気がしますよ」
「驚いたことに、昨夜、お才が殺された戌刻いつつ(八時)時分に、たしかに下手人でないといふあかしを立てられるのは、主人の八郎兵衞と、掛り人のお谷のたつた二人だけですよ」
ガラッ八の八五郎が神田へ帰ったのは、やがて戌刻いつつ半(午後九時)とも思う頃でした。
「三軒目の宇田川町の呉服屋——相模屋清兵衛のところへ行ったのは戌刻いつつ半(九時)」
「車坂の桔梗屋へ参りました。夕方までに帰るつもりでしたが、無理に引止められて、晩の御馳走になりましたので、家へ帰ったのは、戌刻いつつ(八時)少し前でございましたか——」
半日八方に飛び廻つた八五郎は、平次のところで腹を拵へて、戌刻いつつ(八時)過ぎになつてようやく向柳原の自分の巣、——仕立物をして、細々と暮してゐる叔母の家へ歸つて來ました。
東両国の明石一座の軽業小屋に着いたのは、もう戌刻いつつ(八時)過ぎだったでしょうか。
もう戌刻いつつ半(九時)過ぎでしょうが、しもたや造りながら、店構えの大きい丸屋は、火の消えたような静寂のうちに、何となく不気味を押しつぶしたようなザワめきをはらんでおります。
「お前は昨夜外へ出なかつたのか。——戌刻いつつ(八時)から子刻こゝのつ(十二時)の間——」
慣れた旅支度と言っても夕景まで手一杯に急いで、小日向の安城邸に駈け付けたのはもう戌刻いつつ(八時)少し前、夏の日もすっかり暮れ切って、忍びの旅立ちには丁度ちょうど宜い頃合でした。
裸身の女仙 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
ガラッ八とお篠が、湯島の山名屋へ行ったのはその晩の戌刻いつつ(八時)過ぎでした。
女房の初七日も済まないが——とさいしょは気の乗らない様子でしたが、根がお好きなので、いつの間にやら夢中になってしまい、戌刻いつつ(八時)過ぎには、お酒を出させて、お二人で碁を
「まだ宵のうち、戌刻いつつ(八時)そこそこでございました。この節は物騒だから、女の夜歩きはせと申しておりましたが、私に隠れるように、いつの間にやら見えなくなってしまいました」
「帰ったのは亥刻よつ少し前、——どんな手品を使ったって、お駒を殺せるわけはねえ。継母のお仙は、戌刻いつつ(午後八時)に出かけて、亥刻よつに帰った時は、お駒は間違いもなく死んでいたんだ」
戌刻いつつ(八時)過ぎに、たった一人でここへやって来たよ——もっとも、お由良には言わないが、誰かいて来て外で見張っているようだったが、——俺のところへ来たのは初めてじゃない。