懺悔さんげ)” の例文
したがって、自己おのれの生活に対して、何の懺悔さんげも、反省もなしに、ただいたずらに世をのろい、人をうらむことは、全く沙汰さたの限りといわざるを得ないのです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
心からこれを唱へれば、懺悔さんげの心がいつか自分の過去現在未来に渡つてみ入り、悪業が自然と滅して行く
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
光勝やむをえず『法花経』を軽しめた罪を懺悔さんげす。法蓮その米を国中に施し諸人心のままにない去る。
東大寺供養の為に頼朝が上洛の時、為守は、三十三歳でお伴をして行ったが、三月四日に京都に着き、その月の二十一日に法然の庵堂へ参って、合戦度々の罪を懺悔さんげ
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「はい、きっと、懸命に修行いたしまする」と、懺悔さんげのいろをあらわしていうのであった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
親鸞の文章には到るところ懺悔さんげがある。同時にそこには到るところ讃歎がある。懺悔と讃歎と、讃歎と懺悔と、つねに相応じている。自己の告白、懺悔は内面性のしるしである。
親鸞 (新字新仮名) / 三木清(著)
いにしへよりやまと漢土もろこしともに、国をあらそひて兄弟あたとなりしためしは珍しからねど、つみ深き事かなと思ふより、悪心あくしん懺悔さんげの為にとてうつしぬる御きやうなるを、いかにささふる者ありとも
あの富士山や御嶽おんたけ山などへ登る行者たちが、「懺悔さんげ懺悔、六こん清浄しょうじょう」と唱える、あの六根で、それは眼、耳、鼻、舌、身の五官、すなわち五根に、「意根」を加えて六根といったので
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
その敵対処置を知っていてぴしぴしと節に当った処置が出来るのですから、反省の深刻なのは懺悔さんげです。真理の前に、真理ならぬ自分の部分を責め捨て責め捨てして遂に真理に沿う自分にします。
仏教人生読本 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)