左馬頭さまのかみ)” の例文
人妻に恋をして三角関係を作る男の愚かさを左馬頭さまのかみの言ったのは真理であると思うと、源氏は自分に対して空蝉の冷淡なのは恨めしいが
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「そればかしの事で悲嘆にくれるようでは、この先、どう生きてゆき召さるか。左馬頭さまのかみ義朝様のお子ともあろうものが」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寿永二年八月十日、木曽義仲は左馬頭さまのかみとなり、越後国を賜わった。その上、朝日の将軍という院宣も頂いた。十郎蔵人は備後守となり、備後の国を頂く。
喜連川きつれがわ——喜連川左馬頭さまのかみ殿御城下。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
さっきの左馬頭さまのかみのお話のように、役所の仕事の相談相手にもなりますし、私の処世の方法なんかについても役だつことを教えていてくれました。
源氏物語:02 帚木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
左馬頭さまのかみ義朝の謀叛によって殺される運命にあったが、池禅尼の必死の嘆願で死を免れ、十四歳のとき、永暦えいりゃく元年三月二十日、伊豆国北条ほうじょうひる小島こじまに流されたものである。
左馬頭さまのかみの一族、そのほか源氏の家人どもが、えにかてを求め、矢傷に薬を乞いなどして見えたる折は、親切顔して、小屋へ入れよ、入れ置いてすぐ、地頭じとうへ訴え出るなり
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こんなことがまた左馬頭さまのかみによって言われている間にも、源氏は心の中でただ一人の恋しい方のことを思い続けていた。
源氏物語:02 帚木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
しかるに、みかどはその高氏を、さっそく治部卿じぶきょうの官にあげられ、弟直義ただよしをも、左馬頭さまのかみに任じておられる……。まるでもう新しい宮門へ、先に邪神まがつびを入れているようなものよ。
左馬頭さまのかみは女の品定めの審判者であるというような得意な顔をしていた。中将は左馬頭にもっと語らせたい心があってしきりに相槌あいづちを打っているのであった。
源氏物語:02 帚木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
さきの、堀河天皇は、非常な熱心家で、禁門の馬寮には、諸国の逸駿いつしゅんをつながせて楽しまれた。右馬頭うまのかみ左馬頭さまのかみらの配下は、このちょうに人員も増されたし、役柄やくがらも大いにふるった。
左馬頭さまのかみ直義は、このとき火のごとき言を吐いた。人々もそれに打たれて二言となかった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宣下せんげは十月半ばにあった。征夷大将軍せいいたいしょうぐんをかねて、参議に任じられ、左馬頭さまのかみに叙された。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それひとつでも、武に誇って、ただ覇権はけんをふるうあなたでないことはよくわかります。けれどあなたは政治の裏にいて、表に立つのは、つねに左馬頭さまのかみ(直義)どのではございませぬか。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、署名は尊氏ではなく、左馬頭さまのかみとあり、すなわち弟直義ただよし花押かきはんだった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……思うところは、そうした左馬頭さまのかみ(直義)どのゆえ、ここの御警固は、余人に申しつけられて、左馬頭どのと、おうえ(後醍醐)とを、おちかづけにならぬ方が、およろしいのではないかと思うのです
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「わしは、左馬頭さまのかみが三男、右兵衛佐うひょうえのすけ頼朝という者です」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
左馬頭さまのかみ(直義)さま。何ごとで?」