威海衛いかいえい)” の例文
また、威海衛いかいえいの大攻撃と支那北洋艦隊の全滅を通信するにあたっては、「余は、今躍る心を抑へて、今日一日の事を誌さんとす」
明治の戦争文学 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
何でも日清戦争中は、威海衛いかいえいのある妓館ぎかんとかに、客を取っていた女だそうだが、——何、どんな女だった? 待ち給え。ここに写真があるから。
奇怪な再会 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
威海衛いかいえいで毒を仰いで死んだ清国の提督、丁汝昌ていじょしょうの恋人とうたわれたおしかさん、座っている老女は、紅葉館創立以来のお給仕きゅうじの総指揮役で、後見役のおやすさん。
大橋須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
「左様サ、威海衛いかいえい砲台の攻撃で、敵の砲弾にやられたのだ。醜いか、よッぽどこわらしいだろう」
湖畔 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
文字通りに、砲烟弾雨ほうえんだんうの中をくぐることもしばしばあります。日清戦争には二六新報の遠藤えんどう君が威海衛いかいえいで戦死しました。日露戦争には松本日報の川島かわしま君が沙河で戦死しました。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
即ち支那はあたかも盛んに西洋文明を採用して富国強兵の術をつとめた頃で、洋式の陸海軍を編成し、特に大沽たいこ砲台、旅順りょじゅん威海衛いかいえいの軍港を設くる等、その面目を一新するのがいあり。
三たび東方の平和を論ず (新字新仮名) / 大隈重信(著)
彼は支那ばかりでなく、最初は朝鮮、満洲へ渡って、仁川じんせんへも行き、京城けいじょうへも行き、木浦もっぽ威海衛いかいえい、それから鉄嶺てつれいまでも行った。支那の中で、一番気に入ったところは南京ナンキンだった。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
自分はその一二ひとふたつを受けながら、シナの水兵は今時分定めて旅順りょじゅん威海衛いかいえいおおへこみにへこんでいるだろう、一つ彼奴きゃつらの万歳を祝してやろうではないかと言うとそれはおもしろいと
遺言 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
だが、二十八年二月、日本海軍が威海衛いかいえいを占領した時に、丁汝昌は従容しょうようと自殺してしまったのだ。
モルガンお雪 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)