奄美大島あまみおおしま)” の例文
その一つは鹿児島県の南の島、奄美大島あまみおおしまで採集せられたもの、すずめ啄木鳥きつつきとの姉妹は奉公ほうこうに出ていて、家に年とった親をのこしていた。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
テントの中で昼食の握り飯をくいながら、この測夫の体験談を聞いた。いちばん恐ろしかったのは奄美大島あまみおおしまの中の無人の離れ島で台風に襲われたときであった。
小浅間 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
しかし更になお鹿児島県のものとして特筆されてよいのは「大島紬おおしまつむぎ」であります。奄美大島あまみおおしまは今は大隅おおすみの国に属していますが、元来は沖縄の一部でありました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
奄美大島あまみおおしまのような遠い島にも、やはり古くからそのネンウチの遊びはあり、その木をネンと呼び遊びかたもよく似ていた。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
煙に包まれる硫黄島いおうしまとか、鉄砲で名高い種子島たねがしまとか、恐ろしい物語の喜界きかいしまとか、耳にのみ聞いたそれらの島々を右に見、左に見て進みますと、船は奄美大島あまみおおしま名瀬なぜに立寄って
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
鹿児島県南海の奄美大島あまみおおしまでは、十三歳になる女の子には十三袴じゅうさんはかまといって、叔母おばさんから赤い腰巻をやることになっている。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
もっと驚く変化は、奄美大島あまみおおしま古仁屋こにやでダマクラ、名瀬なぜでカマクラ、それからもう一つ変って隣の永良部えらぶ島ではハマクラ、喜界きかい島ではマンカとまでなっている。
ただ幸いなことには岩倉市郎君の努力によって、彼の故郷の喜界島きかいじま沖永良部島おきのえらぶじまとの昔話集が世に残り、奄美大島あまみおおしまの村々の昔話も、一部分だけは保存することができて
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この辺から奄美大島あまみおおしまにかけて、最も特色を認められている高倉たかくらの構造なども、その外形から見て明らかにこれから進化したものと言えるが、稲真積の方は収穫の季節ごとに
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
唐木と呼ばるる珍奇なる南方の木材が寄ってきた場合には、これを家々の私用に供せず、必ず官府に届けよという法令が、奄美大島あまみおおしまの北部などには、旧藩時代の頃に出ている。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
奄美大島あまみおおしま民謡大観』を読んでみると、島の宴飲には最も即興の歌が珍重せられ、殊に男女の間には歌競うたきそいのざれがあって、返歌の慧敏けいびんなるものが永く異性の愛好をつないだことを述べている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
今でも国頭くにがみ郡の田港たみなとの海神祭の神歌には、おし鳥がこの甘種あまたね白種を口にくくんで、あぜから蒔き散らしたと唱えていることが、島袋源七君の『山原やんばるの土俗』に見え、遠く北に離れた奄美大島あまみおおしまなどでも
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
これと同じ話は沖縄の島にも、また奄美大島あまみおおしまの村にもありました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)