夕菴せきあん)” の例文
親族の柳生河内、菅原夕菴せきあん譜代ふだいの木村五平太、服部織部介はっとりおりべのすけ、庄田喜兵衛次きへえじ、和田、野々宮、松枝などの老臣旗下はたもとたちは
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
熱田の町口には加藤図書助順盛ずしょのすけよりもりが迎えに出て来て居て、出陣式法の菓子をそなえた。信長は喜んで宮に参り願文がんもんを奉じ神酒を飲んだ。願文は武井入道夕菴せきあんに命じて作らしめたと伝うるもので
桶狭間合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
信長は、彼のことばにつづいて、夕菴せきあんや光秀が、つづいて自分へ口を開こうとしたので、頭からそれを抑えつけて云った。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信盛、夕菴せきあん、光秀の三人は、同時にまた両手をついて、あたかも諫言かんげんとりでのように主君の前をうごかなかった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
桟敷さじきには、近衛このえ殿もおられたし、主人役の信長のほか、穴山梅雪、長雲、友閑、夕菴せきあん、長安などの年寄衆、小姓衆、そのほか徳川家の家臣もいながれて陪観ばいかんしていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はなわ九郎右衛門、荒木摂津守せっつのかみ、武井夕菴せきあん、そのほか柴田、丹羽、佐久間、蜂屋兵庫守ひょうごのかみなど——何しても、その行装ぎょうそうの壮観、式のおごそかなことは、仰山ぎょうさんともいえるほどだった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その信長の床几しょうぎめぐって、佐久間右衛門、武井夕菴せきあん、明智十兵衛などの驍将ぎょうしょうが、を垂れて居ならんでいた。——ちょうど、親たちが息子に意見されてでもいるように。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)