壬戌じんじゅつ)” の例文
喜界島きかいじまなどの或る村では、壬戌じんじゅつの日をもってそのいわゆるホウスを祭り、仲一日なかいちにちを置いて翌々日の甲子をもってドンガの日としている。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その二には「至善院格誠日在、寛保二年壬戌じんじゅつ七月二日」と一行に彫り、それと並べて「終事院菊晩日栄、嘉永七年甲寅こういん三月十日」
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
弘庵は下谷長者町の家を追われて行徳ぎょうとくに移居し、文久二年壬戌じんじゅつ十月そのまさに死せんとする頃赦されて江戸に還った。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
甲寅こういんの歳より壬戌じんじゅつの歳まで天下国家の事をいわず、蘇秦、張儀の術をなさず、退しりぞいては蠧魚とぎょり、進んでは天下を跋渉ばっしょうし、形勢を熟覧し、以て他年報国の基をさんのみ。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
大田蜀山人の「壬戌じんじゅつ紀行」に木曾街道の奈良井の宿のありさまを叙して「奈良井の駅舎を見わたせば梅、桜、彼岸ざくら、すももの花、枝をまじえて、春のなかばの心地せらる。駅亭に小道具を ...
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
文久壬戌じんじゅつ二年六月二日 広周 書判
斬られたさに (新字新仮名) / 夢野久作(著)
しかしわたくしは大正壬戌じんじゅつの年の夏森先生をうしなってから、毎年の忌辰きしんにその墓を拝すべく弘福寺の墳苑におもむくので、一年に一回向島のつつみよぎらぬことはない。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)