“垣内”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
かきつ26.1%
かいと26.1%
カキツ17.4%
かきうち8.7%
かきち4.3%
かきぬち4.3%
かくち4.3%
がいち4.3%
がいと4.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
屋敷中の人々は、身近くつかへる人たちから、垣内かきつの隅に住む奴隷やつこ婢奴めやつこの末にまで、顔を輝して、此とり沙汰を迎へた。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
一つだけ例を挙げると、屋敷の名に何垣内かいとという例は、大和では今も普通だが、以前にもこれがよく用いられている。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
其日からもう、若人たちの糸縒イトヨりは初まつた。夜は、ネヤヤミの中で寝る女たちには、稀に男の声を聞くこともある、奈良の垣内カキツ住ひが、恋しかつた。
死者の書 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
垣内かきうち、金田、武内の六人、計十六人で、これに隊長、小頭各二人を加えると、二十人になる。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
山茶花はあまたも散れば土にして白きをみむに垣内かきちには立つ
長塚節歌集:3 下 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
その不朽の名畫晩餐式はこゝに胚胎はいたいせしなり。その戀人の尼寺の垣内かきぬちに隱れて、生涯相見ざりしは、わがフラミニアに於ける情と古今同揆どうきなりとやいはまし。
ついでに言うがブンジは梵志ぼんしすなわち後の虚無僧こむそうのことで、梵志がもらっていた屋敷のことであろう。波多垣内がいち神子みこ垣内の類は中国辺に多い。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
武蔵では谷または谷戸とかいてヤトと言う地名が多い。ただし何々ヶ谷戸と言う地名の中には何々垣内がいとと書くべきものもあるかも知れぬ。鎌倉の何々ヶやつは歴史的の地名である。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)