垣内かいと)” の例文
一つだけ例を挙げると、屋敷の名に何垣内かいとという例は、大和では今も普通だが、以前にもこれがよく用いられている。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
垣内かいととはもと村と云う程の義で、特にこの非人部落を呼ぶ場合にその称呼を用い、垣内の者などとも云った。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
大和の十津川とつかわなどでは宅地には一々名前があって、杉の本・竹の内・東垣内かいと・中垣内というように、所在または特徴をもってその地名としているのである。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
京都における悲田院の非人の数は年とともに段々増加して、当初の粟田口付近の一箇所のみに収容し難くなり、他に五箇所の収容所を設けて、いわゆる垣内かいとをなした。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
『郷土研究』に必ず研究せらるべくして、ついにこれという説にも接しなかったのは垣内かいとの問題である。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
けだし彼らは、後世その住居の範囲を制限されて、院内あるいは垣内かいととなったものであろう。
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
それも一つの垣内かいと、一つの屋敷内に親子兄弟が共に住んでいる時ならば仕方がないが、家族の増加するに従って附近の村々に分家をさせ、新開をさせるようになってからは
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
宿しゅくの者、垣内かいとの者などと云い、職業とするところから、皮屋、皮坊、皮太、茶筅、御坊、鉢屋、ささら、説教者、博士など、種々の名称があるが、要するに河原者と云い、坂の者と云い
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
屋敷や一つの垣内かいとだけで、なお古くからの土地の神に、精誠せいぜいをいたしていた場合も多かった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
京都の悲田院の仲間の如きも、右に述べた如く、かつては同じエタと呼ばれていましたが、後には単に非人、あるいは小屋者、垣内かいとなどと呼ばれて、エタとは筋の違うものとなりました。