“垣内:かいと” の例文
“垣内:かいと”を含む作品の著者(上位)作品数
喜田貞吉3
柳田国男2
“垣内:かいと”を含む作品のジャンル比率
歴史 > 伝記 > 系譜・家史・皇室20.0%
社会科学 > 社会 > 社会学12.1%
社会科学 > 風俗習慣・民俗学・民族学 > 伝説・民話[昔話]3.3%
(注)比率=対象の語句にふりがなが振られている作品数÷各ジャンルの合計の作品数
垣内かいととはもと村と云う程の義で、特にこの非人部落を呼ぶ場合にその称呼を用い、垣内の者などとも云った。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
けだし彼らは、後世その住居の範囲を制限されて、院内あるいは垣内かいととなったものであろう。
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
京都における悲田院の非人の数は年とともに段々増加して、当初の粟田口付近の一箇所のみに収容し難くなり、他に五箇所の収容所を設けて、いわゆる垣内かいとをなした。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
京都の悲田院の仲間の如きも、右に述べた如く、かつては同じエタと呼ばれていましたが、後には単に非人、あるいは小屋者、垣内かいとなどと呼ばれて、エタとは筋の違うものとなりました。
また右の二つの系統が時としては二つの層をなし、必ずしも一郷の八幡宮、一村全体の熊野社の威望を傷けることなくして、屋敷や一つの垣内かいとだけで、なお古くからの土地の神に、精誠せいぜいをいたしていた場合も多かった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それも一つの垣内かいと、一つの屋敷内に親子兄弟が共に住んでいる時ならば仕方がないが、家族の増加するに従って附近の村々に分家をさせ、新開をさせるようになってからは、それぞれの地名を呼ぶことがいとやすくなったから、遠慮なく家というものが統一を害するといういささかの懸念もなしに、家号を製造して行ったのであります。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)