垂水たるみ)” の例文
進軍令と同時に、磯の垂水たるみ——塩谷——須磨——妙法寺川——へと行動をおこしていた陸勢の三万余騎である。——尊氏は目も放たない。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
図566は鹿児島の向うの桜島山の輪郭を、鹿児島の南八マイル、湾の西岸にある垂水たるみ〔大隅の垂水ならばこの記述は誤である。
石激いはばしる」は「垂水たるみ」の枕詞として用いているが、意味の分かっているもので、形状言の形式化・様式化・純化せられたものと看做みなし得る。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
かけひからは涼しげな垂水たるみが落ちてゐる……硝子戸越しに見える店主らしいのが照明燈の下で静かに黙々と印章を彫つてゐる……それが私なのである。
老残 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
何でも親戚みうちの者が播州垂水たるみで結婚をするその式に顔出ししなければならないので、時間の都合で岸和田から垂水まで自動車を走らせる事になつた。
いつか和船で垂水たるみから渡らうと思つて酷い目に逢つたことがある、「阿波の鳴門か音頭が瀬戸か又は明石のいや水か」
須磨明石 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
通途つうづの説に従へば、始て朱註の四書を講じたものは僧玄慧げんゑで、花園、後醒醐両朝の時である。然るに霞亭は首唱の功を藤房の師垂水たるみ氏に帰してゐる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
駆け向かった先はいささか意外! 土手に沿って河岸かしを下へ小一町韋駄天いだてんをつづけていましたが、お舟宿垂水たるみ——と大きく掛けあんどんにしるされた一軒の二階めざしながら
結婚解消……となって、女は垂水たるみの実家へ送り帰される途中——。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
石ばしる垂水たるみの上のさ蕨のもえいづる春になりにけるかも
或る国のこよみ (新字旧仮名) / 片山広子(著)
大体以上の如くであるが、「垂水」を普通名詞とせずに地名だとする説があり、その地名も摂津せっつ豊能とよの郡の垂水たるみ播磨はりま明石あかし郡の垂水たるみの両説がある。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
垂水たるみの神祠を拝し遊女冢をすぎ千壺岡ちつぼのをかに上つて看る。烏崎舞子浜山田をすぎ五里大蔵谷駅。樽屋四郎兵衛の家に宿す。此日暑尤も甚し。此夜月明にして一点の雲なし。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
山路を降り、明石の大蔵谷へ行きつくと、この方面、垂水たるみ、須磨、兵庫へかけては、たくさんな味方が落ち合っているのがわかった。こう師直もろなお師泰もろやす。赤松円心。細川定禅じょうぜん
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
全体の調子から、やはり垂水たるみをば小滝ぐらいのものとして解釈したく、小さくとも激湍げきたんの特色を保存したいのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)