トップ
>
垂水
>
たるみ
ふりがな文庫
“
垂水
(
たるみ
)” の例文
進軍令と同時に、磯の
垂水
(
たるみ
)
——塩谷——須磨——妙法寺川——へと行動をおこしていた陸勢の三万余騎である。——尊氏は目も放たない。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
図566は鹿児島の向うの桜島山の輪郭を、鹿児島の南八マイル、湾の西岸にある
垂水
(
たるみ
)
〔大隅の垂水ならばこの記述は誤である。
日本その日その日:03 日本その日その日
(新字新仮名)
/
エドワード・シルヴェスター・モース
(著)
「
石激
(
いはばし
)
る」は「
垂水
(
たるみ
)
」の枕詞として用いているが、意味の分かっているもので、形状言の形式化・様式化・純化せられたものと
看做
(
みな
)
し得る。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
筧
(
かけひ
)
からは涼しげな
垂水
(
たるみ
)
が落ちてゐる……硝子戸越しに見える店主らしいのが照明燈の下で静かに黙々と印章を彫つてゐる……それが私なのである。
老残
(新字旧仮名)
/
宮地嘉六
(著)
何でも
親戚
(
みうち
)
の者が播州
垂水
(
たるみ
)
で結婚をするその式に顔出ししなければならないので、時間の都合で岸和田から垂水まで自動車を走らせる事になつた。
茶話:04 大正七(一九一八)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
▼ もっと見る
いつか和船で
垂水
(
たるみ
)
から渡らうと思つて酷い目に逢つたことがある、「阿波の鳴門か音頭が瀬戸か又は明石のいや水か」
須磨明石
(旧字旧仮名)
/
長塚節
(著)
通途
(
つうづ
)
の説に従へば、始て朱註の四書を講じたものは僧
玄慧
(
げんゑ
)
で、花園、後醒醐両朝の時である。然るに霞亭は首唱の功を藤房の師
垂水
(
たるみ
)
氏に帰してゐる。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
駆け向かった先はいささか意外! 土手に沿って
河岸
(
かし
)
を下へ小一町
韋駄天
(
いだてん
)
をつづけていましたが、お舟宿
垂水
(
たるみ
)
——と大きく掛けあんどんにしるされた一軒の二階めざしながら
右門捕物帖:17 へび使い小町
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
結婚解消……となって、女は
垂水
(
たるみ
)
の実家へ送り帰される途中——。
丹下左膳:03 日光の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
石ばしる
垂水
(
たるみ
)
の上のさ蕨のもえいづる春になりにけるかも
或る国のこよみ
(新字旧仮名)
/
片山広子
(著)
大体以上の如くであるが、「垂水」を普通名詞とせずに地名だとする説があり、その地名も
摂津
(
せっつ
)
豊能
(
とよの
)
郡の
垂水
(
たるみ
)
、
播磨
(
はりま
)
明石
(
あかし
)
郡の
垂水
(
たるみ
)
の両説がある。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
垂水
(
たるみ
)
の神祠を拝し遊女冢をすぎ
千壺岡
(
ちつぼのをか
)
に上つて看る。烏崎舞子浜山田をすぎ五里大蔵谷駅。樽屋四郎兵衛の家に宿す。此日暑尤も甚し。此夜月明にして一点の雲なし。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
山路を降り、明石の大蔵谷へ行きつくと、この方面、
垂水
(
たるみ
)
、須磨、兵庫へかけては、たくさんな味方が落ち合っているのがわかった。
高
(
こう
)
ノ
師直
(
もろなお
)
、
師泰
(
もろやす
)
。赤松円心。細川
定禅
(
じょうぜん
)
。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
全体の調子から、やはり
垂水
(
たるみ
)
をば小滝ぐらいのものとして解釈したく、小さくとも
激湍
(
げきたん
)
の特色を保存したいのである。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
垂
常用漢字
小6
部首:⼟
8画
水
常用漢字
小1
部首:⽔
4画
“垂水”で始まる語句
垂水山
垂水村
垂水洋鵝
垂水之水能早敷八師