唯々ただただ)” の例文
故人をあやまり伝えてもなりませず、何かひょうをやるようにも当りますから、唯々ただただ、かのな、婦人との模様だけ、お物語りしましょうで。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
群生した樹々は唯々ただただ、ひらけた空に向って、光を求めて争って伸びて行ったのだ。トド松はこけに喰い附かれ、つたにからまれて立っていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
兄の泉太ですらくなった母さんをよく覚えていないと言う程で、二人の子供は唯々ただただ父を便たよりにし、父と共に住むことを何よりの幸福としている。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
嵐と火事の真只中まっただなかに囲まれた京の人々は全く半狂乱でその為す所を知らずと云う有様、皆もう生きた心持もなく、唯々ただただ自然の成り行きにまかせて見ているより仕方がなかった。
現代語訳 方丈記 (新字新仮名) / 鴨長明(著)
次のご文は、時に小禽すでに終日日光に浴し、歌唄かばい跳躍して、疲労をなし、唯々ただただ甘美の睡眠中にあり。他人事ひとごとではないぞよ。どうぢゃ、今朝も今朝とて穂吉どのところを替へてこの身の上ぢゃ
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
大江山警部は、この執念ぶかい犯人のトリックに、唯々ただただあきれるばかりだった。
省線電車の射撃手 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ご郷里において、竹中家のご薫陶くんとうを得ればあれにも何よりよい修業です。しかし、かかる世のらい、松千代の身命については、どうか少しもおかばいなく、唯々ただただ、ご主命のままの者と思召し下さい。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
子供に勧めてこういうものを書かしてよこしたらしい節子の心持も思われて岸本は唯々ただただ気の毒でならなかった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
昨日は白耳義ベルジックナミュウルの要塞ようさいが危いとか今日は独逸軍の先鋒せんぽうが国境のリイルに迫ったとか、そういう戦報を朝に晩に待受ける空気の中にあっては、唯々ただただ市民と一緒に成って心配を分け
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)