匡房まさふさ)” の例文
といって、そのあくる日あらためて匡房まさふさのところへ出かけて行って、ていねいにたのんで、いくさ学問がくもんおしえてもらうことにしました。
八幡太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
「大江匡房まさふさすえが、壬生みぶにおる。いまでも居るとおもう。ひとまずそこへ送ってくれい」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また匡衡まさひらから数世の孫にあたる大江匡房まさふさも『遊女記』というものを書いてこの沿岸のなまめかしくもにぎやかな風俗を述べ、江河南北、邑々処々ゆうゆうしょしょ、分流シテ河内ノ国ニ向フ、これヲ江口ト
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
匡房まさふさがこんなことをいっていました。なにもわからない学者がくしゃのくせに、生意気なまいきではありませんか。」
八幡太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
大江匡房まさふさには「遊女記」の著述さえある。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
がんのみだれてとき伏兵ふくへいがあるしるしだということは、匡房まさふさきょうからおそわった兵学へいがくほんにあることだ。おかげあぶないところをたすかった。だから学問がくもんはしなければならないものだ。
八幡太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)