北面ほくめん)” の例文
父の行綱は今こそこんなにやつれ果てているが、七年前は坂部庄司蔵人行綱さかべのしょうじくらんどゆきつなと呼ばれて、院の北面ほくめんつこうまつる武士であった。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
北面ほくめんうちでも、わけて勇猛と聞こえのある、佐藤兵衛尉義清の口から、いままでにない言葉を聞く。どうかしたのか。おい』
清範・家長は院の近臣で、秀能は歌熱心で御寵愛になった北面ほくめんの武士だから、これらは院の御手もとの者たちといえるが、このように数は多くない。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
差上しに二條家御感ぎよかんの餘り其まゝ奏聞そうもんなし給へば賤敷いやしき女にもかゝ風流ふうりう有けるよと即座そくざに御うた所へつかはされ歌仙かせんくはへさせられ又北面ほくめん北小路きたこうぢ從五位下東大寺とうだいじ長吏ちやうり若狹守藤原保忠わかさのかみふぢはらやすたゞ 勅使ちよくしとして祇園へいたり 勅使なりと聲を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
まだその頃、北面ほくめん伺候しこうの二十六、七の若武士にすぎなかった卜部兼好うらべかねよしには、それが初恋だった。火となって、女の許へ通った。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雨乞いの祈祷はの刻(午前十時)を過ぎても何の効験しるしも見えなかった。壇のまわりには北面ほくめんの侍どもが弓矢をとって物々しく控えていた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
北面ほくめんの行綱に狐を射よと命じたのは自分である。行綱が仕損じた場合に、ひどく気色けしきを損じたのも自分である。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
先は、父のただひとりの弟、兵部省出仕の北面ほくめんの侍、平ノ忠正の家と、泣きつく所もきまっている。
「おっ。……それでは、やはり後宇多法皇の院御所に、北面ほくめん(院ノ武者)としておいで遊ばした左兵衛さひょうえじょう兼好かねよしさまでございましたか。……まあ、なんたるお変りよう」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)