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北畠親房
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きたばたけちかふさ
ふりがな文庫
“
北畠親房
(
きたばたけちかふさ
)” の例文
現
(
げん
)
、天皇後醍醐のお
乳
(
ち
)
のひとの父であり、天皇の御信任はもちろんのこと、いわゆる“重臣の三
房
(
ぼう
)
”(
北畠親房
(
きたばたけちかふさ
)
、
万里小路宣房
(
までのこうじのぶふさ
)
、吉田定房)
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
で、そのような危険な旅へ、好んでお出かけなさるよりも、ここに止まりなさりませ。私ことは土地の豪族で、先祖は
北畠親房
(
きたばたけちかふさ
)
で、名家の末にござります。
血ぬられた懐刀
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
雅家
(
まさいえ
)
、
北畠
(
きたばたけ
)
と号す——
北畠親房
(
きたばたけちかふさ
)
その子
顕家
(
あきいえ
)
、
顕信
(
あきのぶ
)
、
顕能
(
あきよし
)
の三子と共に
南朝
(
なんちょう
)
無二の
忠臣
(
ちゅうしん
)
、
楠公
(
なんこう
)
父子と
比肩
(
ひけん
)
すべきもの、
神皇正統記
(
じんのうしょうとうき
)
を
著
(
あら
)
わして
皇国
(
こうこく
)
の正統をあきらかにす
ああ玉杯に花うけて
(新字新仮名)
/
佐藤紅緑
(著)
武家嫌ひの
北畠親房
(
きたばたけちかふさ
)
さへ、
之
(
これ
)
を認めてゐるくらゐだが、朝廷に対する尊崇の念を多少とも有してゐた彼が、日本の国体とは相容れざる武家政治を開始したことは、百世の下
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
尊良親王・宗良親王・
懐良
(
やすなが
)
親王・
北畠親房
(
きたばたけちかふさ
)
・北畠
顕家
(
あきいえ
)
みなそうであった。だから京都の
第宅
(
ていたく
)
に遊園を愉しむ生活に比べれば、すこぶる荒涼として、
艱難
(
かんなん
)
辛苦の
状
(
さま
)
は想像に余りがある。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
▼ もっと見る
その内容は
北畠親房
(
きたばたけちかふさ
)
などと同じような正直・慈悲の政治理想を説いたものである。
埋もれた日本:――キリシタン渡来文化前後における日本の思想的情況――
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
はるか吉野にある大塔ノ宮や、正成の手にかくれている
四条隆資
(
しじょうたかすけ
)
や、居所不明の
北畠親房
(
きたばたけちかふさ
)
などから、播磨の
大山
(
だいせん
)
、伯耆の大山の二つを通して“お味方”をすすめてきた。
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
北畠親房
(
きたばたけちかふさ
)
もその
神皇正統記
(
じんわうしやうとうき
)
に於て、乱国の始めだと云つて慨嘆してゐる如く、当時に於ける国家の大患であり、武士がその勢力を獲たのも、荘園が、その根拠を与へたからである。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
「
御輿
(
みこし
)
の御後に
供奉
(
ぐぶ
)
する人はあれは
北畠親房
(
きたばたけちかふさ
)
じゃ」
ああ玉杯に花うけて
(新字新仮名)
/
佐藤紅緑
(著)
天皇は、後の三房と云はれた
万里小路宣房
(
までのこうぢのぶふさ
)
、吉田定房、
北畠親房
(
きたばたけちかふさ
)
の三名臣を初め、
日野資朝
(
ひのすけとも
)
、日野
俊基
(
としもと
)
等の英才を起用せられ、鋭意諸政を改め給うたので、中興の気運勃々たるものがあつた。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
「
北畠親房
(
きたばたけちかふさ
)
を知ってるか」
ああ玉杯に花うけて
(新字新仮名)
/
佐藤紅緑
(著)
北
常用漢字
小2
部首:⼔
5画
畠
漢検準1級
部首:⽥
10画
親
常用漢字
小2
部首:⾒
16画
房
常用漢字
中学
部首:⼾
8画
“北畠親房”で始まる語句
北畠親房卿