まがり)” の例文
其地より幸でまして、三重の村一一に到ります時に、また詔りたまはく、「吾が足三重のまがり一二なして、いたく疲れたり」
まがりの池」は島の宮の池で、現在の高市たかいち郡高市村の小学校近くだろうと云われている。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
次にヲマタの王は當麻たぎままがりの君の祖先です。次にシブミの宿禰の王は佐佐の君の祖先です。次にサホ彦の王は日下部くさかべの連・甲斐の國の造の祖先です。
天皇、御歳一百六十八歳ももぢあまりむそぢやつ、(戊寅の年の十二月に崩りたまひき。)御陵は、やまみちまがりをか一九にあり。
御子のヒロクニオシタケカナヒの王(安閑天皇)、大和のまがり金箸かなはしの宮においでになつて、天下をお治めなさいました。この天皇は御子がございませんでした。
またこの御世に依網よさみの池を作り、またかる酒折さかおりの池を作りました。天皇は御年百六十八歳、戊寅つちのえとらの年の十二月にお隱れになりました。御陵は山の邊の道のまがりの岡の上にあります。
御子廣國押建金日ひろくにおしたけかなひの王まがり金箸かなはしの宮にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、御子ましまさざりき。(乙卯の年三月十三日崩りたまひき。)御陵は河内の古市ふるちの高屋の村にあり。