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倩
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やと
ふりがな文庫
“
倩
(
やと
)” の例文
半夜に至りて天に纖雲なく、
皎月
(
けうげつ
)
はヱネチアと
岸區
(
リド
)
との間なる風なき水を照せり。われはポツジヨと舟を
倩
(
やと
)
ひて岸區を離れたり。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
それから馬車を
倩
(
やと
)
つて、少しの時間を利用して吉林城を見物し、また城南にある北山の中腹にまで登つて松花江と城とを展望する事にした。
満蒙遊記:附 満蒙の歌
(新字旧仮名)
/
与謝野寛
、
与謝野晶子
(著)
その或は体例に
背
(
そむ
)
きたるが如き迹あるものは、事実に欠陥あるが故に想像を藉りて補填し、客観の及ばざる所あるが故に主観を
倩
(
やと
)
つて充足したに過ぎない。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
倩
(
やと
)
いたること甚だ
僅
(
わずか
)
なりし点においては彼の淡泊無邪気なる
大納言殿
(
だいなごんどの
)
かえって来たり聴くに値せり。
遠野物語
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
鶴子はホテルを出て
梅雨晴
(
つゆばれ
)
の俄に蒸暑くなった日盛りをもいとわず、
日比谷
(
ひびや
)
の四辻から自動車を
倩
(
やと
)
って世田ヶ谷に往き良人の老父をたずねて、洋行のはなしをすると
つゆのあとさき
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
▼ もっと見る
いでわれ
親
(
みづか
)
ら往いて求めんとて、朝まだきに力強き
漕手
(
こぎて
)
四人を
倩
(
やと
)
ひ、
湊
(
みなと
)
を
舟出
(
ふなで
)
して、こゝかしこの洞窟より巖のはざまゝで、
名殘
(
なごり
)
なく尋ね給ひぬ。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
当時一書の至る毎に、諸子は副本六部を製した。それは善書の人を
倩
(
やと
)
つて原本を影写せしめたのである。此六部は伊沢氏兄弟一部、渋江、小島、森、狩谷各一部であつた。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
星巌夫妻は東金を発して勝浦を過ぎ房州の沿岸を廻って洲ノ崎、
館山
(
たてやま
)
を経て
富津
(
ふっつ
)
に来り、
木更津
(
きさらづ
)
より水路を行徳に還った。行徳より更に舟を
倩
(
やと
)
い江戸鉄砲洲に向ったのは七月の某日であった。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
我等はこゝに
朝餐
(
あさげ
)
して、公子夫婦は
午時
(
ひるどき
)
まで休憩し、それより
驢
(
うさぎうま
)
を
倩
(
やと
)
ひてチベリウス帝の
別墅
(
べつしよ
)
の
址
(
あと
)
を訪はんとす。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
蘭軒は医心方を影写するに、
島武
(
たうぶ
)
と云ふものの手を
倩
(
やと
)
つた。そして自らこれに訓点を施した。島武は或は彼の儒門事親を写した高島信章と同人ではなからうか。跋にかう云つてある。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
汽車で上野に着いて、人力車を
倩
(
やと
)
って
団子坂
(
だんござか
)
へ帰る途中、東照宮の石壇の下から、薄暗い花園町に掛かる時、道端に
筵
(
むしろ
)
を敷いて、球根からすぐに紫の花の咲いた草を
列
(
なら
)
べて売っているのを見た。
サフラン
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
倩
漢検1級
部首:⼈
10画
“倩”を含む語句
倩々
倩〻
倩娘
倩眄