亡人なきひと)” の例文
立三味線は勝三郎、脇勝秀、立唄たてうた坂田仙八さかたせんぱち、脇勝久で、皆稲葉家の名指なざしであった。仙八は亡人なきひとで、今の勝五郎、前名勝四郎の父である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
今やフラミニアは死せり、現世うつしよの爲めには亡人なきひとの數に入りたり。世にはこれを抱き、その唇に觸るゝことを得るものなし。是れ我がせめてもの慰藉也。
せめては亡人なきひとの菩提を弔ふために、月の二日を命日とさだめ、供養をおこたらず營んで居ります。
佐々木高綱 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
其時に至り亡人なきひとの存命中、戸外に何事を経営して何人に如何なる関係あるや、金銭上の貸借は如何、その約束は如何など、詳細の事実を知らずして、仮令い帳簿を見ても分明ぶんみょうならず
新女大学 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
それが前年に七十七の賀宴を両国りょうごく万八楼まんはちろうで催したのを名残なごりにして、今年亡人なきひとの数にったのである。跡は文化九年うまれで二十九歳になる文二ぶんじいだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
君若し妻をめとり給はゞ、ともに我家に來給へ、我は君が物語の中なる彼亡人なきひとを愛する如く、君の伴ひ來給はん其人をも愛せんといひ、マリアは唯だ、すこやかに樂しげにて
長唄がおわってから、主客打交っての能があって、女芸人らは陪観を許された。津軽侯は「船弁慶ふなべんけい」を舞った。勝久を細川家に介致かいちした勝秀は、今は亡人なきひとである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
されどその歡喜をなしゝは昔日の事にして、今これが記念をび起せば、一として悲痛に非ざるものなし。譬へば亡人なきひとの肖像の笑へるが如し。その笑はたま/\以て我を泣かしむるに足る。