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やしきあと
ふりがな文庫
“やしきあと”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句
割合
邸跡
33.3%
屋敷跡
25.0%
邸址
16.7%
宅趾
8.3%
家敷跡
8.3%
屋舗跡
8.3%
▼ 他 3 件を表示
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
邸跡
(逆引き)
左側に
近頃
(
ちかごろ
)
刈り込んだ事のなさそうな生垣を見て右側に広い
邸跡
(
やしきあと
)
を大きい松が一本我物顔に占めている赤土の地盤を見ながら、ここからが坂だと思う辺まで来ると、突然
勾配
(
こうばい
)
の強い、狭い
鼠坂
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
やしきあと(邸跡)の例文をもっと
(4作品)
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屋敷跡
(逆引き)
板額女
(
はんがくぢよ
)
は
加治
(
かぢ
)
明神山の城主
長
(
をさの
)
太郎
祐森
(
すけもり
)
が
室
(
しつ
)
、古志郡の
産
(
さん
)
なり。又三歳の小児も知れる
酒顛童子
(
しゆてんどうじ
)
は蒲原郡
沙子塚
(
すなごつか
)
村の
産
(
さん
)
、今猶
屋敷跡
(
やしきあと
)
あり。
始
(
はじめ
)
は
雲上山
(
うんしやうざん
)
国上寺
(
こくじやうじ
)
の
行法印
(
ぎやうほふいん
)
の
弟子
(
でし
)
なり。
北越雪譜:06 北越雪譜二編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
やしきあと(屋敷跡)の例文をもっと
(3作品)
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邸址
(逆引き)
坂路を隔てて仏蘭西人アリベーと呼びしものの
邸址
(
やしきあと
)
、今は岩崎家の
別墅
(
べっしょ
)
となり、短葉松植ゑつらねし
土墻
(
ついじ
)
は城塞めきたる石塀となりぬ。岩崎家の東鄰には依然として
思案外史
(
しあんがいし
)
石橋
(
いしばし
)
氏の
居
(
きょ
)
あり。
礫川徜徉記
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
やしきあと(邸址)の例文をもっと
(2作品)
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▼ すべて表示
宅趾
(逆引き)
そこには
館
(
たち
)
の
内
(
うち
)
と云う小字があって、祐泰の
宅趾
(
やしきあと
)
と云われ、祐泰の力持をしたと云う石もあった。
火傷した神様
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
やしきあと(宅趾)の例文をもっと
(1作品)
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家敷跡
(逆引き)
それであるのに、三人目の男はとんでもなく
白気
(
しらけ
)
きった顔つきで、「いや二百株ばかり、それもごくありふれた、種類の悪い躑躅が植えてある
荒地
(
あれち
)
のような
家敷跡
(
やしきあと
)
ですよ」
清貧の書
(新字新仮名)
/
林芙美子
(著)
やしきあと(家敷跡)の例文をもっと
(1作品)
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屋舗跡
(逆引き)
芝赤羽根
(
しばあかばね
)
の
海軍造兵廠
(
かいぐんぞうへいしょう
)
の跡は現在何万坪という広い閑地になっている。これは誰も知っている通り
有馬侯
(
ありまこう
)
の
屋舗跡
(
やしきあと
)
で、現在
蠣殻町
(
かきがらちょう
)
にある
水天宮
(
すいてんぐう
)
は元この邸内にあったのである。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
やしきあと(屋舗跡)の例文をもっと
(1作品)
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