“かなものや”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
金物屋40.0%
鉄物屋26.7%
鐵物屋13.3%
銅物屋6.7%
金物商6.7%
鉄物商6.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
まず須永の五六軒先には日本橋辺の金物屋かなものやの隠居のめかけがいる。その妾が宮戸座みやとざとかへ出る役者を情夫いろにしている。それを隠居が承知で黙っている。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
全体田舎のブリキ屋かあるいは鉄物屋かなものやが東京から新式のテンピを買って来て田舎でその通りに造って売り出せばやすい代価で出来ます。私どもも毎度ブリキ屋に造らせました。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
横町の鐵物屋かなものやでも堅炭を五俵持つて來いと云ふことでした。
正雪の二代目 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
銅物屋かなものやは屋號三文字屋であつたことが、大郷信齋の道聽途説だうていとせつに由つて知られる。道聽途説は林若樹わかきさんの所藏の書である。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
永富町ながとみちやうと申候處の銅物屋かなものや大釜おほがまの中にて、七人やけ死申候、(原註、親父おやぢ一人、息子むすこ一人、十五歳に成候見せの者一人、丁穉でつち三人、抱へのとびの者一人)
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
ず一番先に四谷よツや金物商かなものやへ参りましたが一年程居りまして駈出かけだしました、それから新橋しんばし鍜冶屋かじやへ参り、三つき程過ぎて駈出し、又仲通なかどおりの絵草紙屋えぞうしやへ参りましたが、十で駈出しました
わたしは上田の鉄物商かなものや研職とぎやで、商売用のめ今日ここを通ると、アノ坊さんが大きな毛鑷を引担ひっかついで山路やまみちを登って行く、私も親の代から此の商売をしてるが、あんなに大きな毛鑷を見た事がないから