いつ)” の例文
「どなた。」と、淺野が優しい顏には不似合に突き出た咽喉佛を、ゴク/\動かして、咎めるやうに言つた聲は、いつもよりまだ太かつた。
太政官 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
いや、有難う。』と竹山はいつになく礼を云つたが、平日いつもの癖で直ぐには原稿に目もくれぬ。渠も亦平日いつもの癖でそれを一寸不快に思つたが
病院の窓 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
義男はもうこの女を切り放さなければならなかつた。——斯う云ふ時にはいつ手強てづよい抵抗をみのるに對して見せ得る男であつた。
木乃伊の口紅 (旧字旧仮名) / 田村俊子(著)
あゝと貞之進は初めて声を出して答え、よく入来いらしってよと解けた詞に嬉しさは頸筋元から這入って、いつもの通り肚で躍って居た。
油地獄 (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
そうしてそのあとからあん人馴ひとなれない継子をあわれんだ。最後には何という気の毒な女だろうという軽侮けいぶの念がいつもの通り起った。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
馬車や自働車ののくるめき、電車のすず——銀座の二丁目から三丁目にかけていつも見馴れた浅はかな喧騒の市街が今はぼかされ掻き消されて
桐の花 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
と、私も何だか観せてやりたくなって、芝居だって観ように由っては幾何いくら掛るもんかと、不覚つい口を滑らせると、お糸さんがいつになく大層喜んだ。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
よりによって順平のお母が産気づいて、いつもは自転車に乗って来るべき産婆が雨降っているからとて傘さして高下駄はいてとぼ/\と辛気臭かった。
放浪 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
「然しあんなに駄目を押して、予防線くぎをさすッてエなア何様どういつもの洞喝おどかしだろうが——奴等も大部こたえたらしいナ」
監獄部屋 (新字新仮名) / 羽志主水(著)
黒板には只一つ樺太からふと定期ブラゴエ丸の二等料理人の口が出ているだけで、その前の大テーブルの上に車座に胡座あぐらいて、いつもの連中が朝から壷を伏せていた。
上海された男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
私は産のが附いてはげしい陣痛の襲うて来る度に、その時の感情を偽らずに申せば、いつも男が憎い気が致します。
産屋物語 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
それから「松の落葉」といふのも元祿の小唄を集めたのではなくて、いつもの藤井何とかいふ人の隨筆集であつた。
京阪聞見録 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
いつになく左眼をショボショボさせて、口の中でつぶやきましたが、これはこの時の左膳の正直な感想でしたろう。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
山城やましろ相楽郡木津さがらぐんきづ辺の或る寺に某と云う納所なっしょがあった、身分柄を思わぬ殺生好せっしょうずきで、師の坊のいましめを物ともせず、いつも大雨の後には寺の裏手の小溝へ出掛け
枯尾花 (新字新仮名) / 関根黙庵(著)
「浜子さんが、ムッと黙っているので、おばさんが、その代りにニコニコ、ニコニコして、阿亀おかめさんがわらっているように、いつも笑い顔をしてるでしょう。」
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
いつになくいとい避けるような調子で言って、叔父が机にむかっていたので、お俊はまた何か機嫌をそこねたかと思った。手持不沙汰てもちぶさたに、勝手の方へ引返して行った。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
かれさらくりしげつたあひだからはりさきくやうにぽちり/\とれてひかりけていつものごと藺草ゐぐさ編笠あみがさかぶつて、あさひもあごでぎつとむすんである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
新派俳優の深井ふかゐすけは、いつもの通り、正午おひる近くになつて眼を覚した。戸外そとはもう晴れ切つた秋の日である。
(新字旧仮名) / 久米正雄(著)
皆は言ひ合せたやうに、眼を閉ぢてねむつた風をしてゐた。医学士は娘に向つて、一言二言話してゐるうちに、いつも女をたらす折にするやうに、掌面の講釈を始めた。
己れは何うしても不思議でならない、と燒あがりし餅を兩手でたゝきつゝいつも言ふなる心細さを繰返せば、夫れでもお前笹づる錦の守り袋といふ樣な證據は無いのかえ
わかれ道 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
またお町もいつになく磨き立て、立派に髪を結上げまして、当日は別して美しく化粧を致しました。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
楊庵は肥胖漢ひはんかんで、其大食は師友を驚かしたものである。渋江抽斎は楊庵の来る毎に、いつも三百文の切山椒を饗した。三百文の切山椒は飯櫃のふたに盛り上げる程あつたさうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
貝島はいつになくムカムカと腹を立てゝ顔色を変えた。なぜかと云うのに、沼倉が自分の罪をなすりつけようとした野田と云う少年は、平生から温厚な品行の正しい生徒なのである。
小さな王国 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その動力どうりよくつね石油發動力せきゆうはつどうりよくにあらずば、電氣力でんきりよくさだまり、艇形ていけい葉卷烟草形はまきたばこがたて、推進螺旋スクリユーつばさ不思議ふしぎよぢれたる有樣ありさまなど、いつもシー、エヂスン氏等しら舊套きゆうとう摸傚もほうするばかりで
ロミオ たのもしらしいゆめつげまことならば、やがてよろこばしい消息たよりがあらう。わがむねぬし(戀の神)もいと安靜やすらかに鎭座ちんざめされた、さればいつになくうれしうて/\、がな一日ひとひこゝろかるゝ。
葬式が濟んだばかり、何となく落着かない家の中へ、岡つ引二人迎へて、あんまり嬉しい顏をする者はありませんが、平次は一向平氣で、お染を引付けて、いつもにない杯などを取ります。
そはいつもこの店先にある日用諸雑記の帳なるか、もしそれならばわれ覚えたり、いざいざ書いて得させんとて、新しき帳を開き、ことごとく写しとどめて与えにければ、主の男はかつ感じかつ歓びけり
死出しで」の揷頭かざしと、いついつもあえかの花を編む「いのち」。
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
幼い自分が別に大人の話を聽かうとするのではなく、いつもの通り父の根付けの積りで、居間へ入つて行くと、父は珍らしく怖い顏と高い聲とで
父の婚礼 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
それから何時なんじだか分らない朝の光で眼をました。雨戸の隙間すきまから差し込んで来るその光は、明らかにいつもより寝過ごした事を彼女に物語っていた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
奈何どうしたのか、鍛冶屋の音響ひびきも今夜はいつになく早く止んだ。高く流るる天の河の下に、村は死骸の様に黙してゐる。
赤痢 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
まさかとは頼みにもしていたのですが、ところがすぐ近所の料理店りょうりやへ、いつも来る豆腐売りがぼんやりと荷物ももたずに来て、実は昨夜ゆうべ、御近所のなにさんに浜町河岸はまちょうがし
人魂火 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
下級吏員の収入問題は、従来これまで池上氏が取扱つて来た多くの難問題に比べて、別に解決し易いといふ程度の物ではなかつたが、市長はいつになく自分一人で考へ込んだ。
和泉屋の晴れの披露目ひろめとあって、槙町まきちょう亀屋かめやの大浚えにはいつもの通り望月が心配して下方連を集めて来たまでは好かったが、笛を勤めるのが乗物町の名人又七と聞いて
助五郎余罪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
三吉は直ぐはしらなかった。いつになく、彼は自分で自分を責めるようなことを言出した。「実に、自分は馬鹿らしい性質だ」とか、何だとか、種々なことを言った。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
三年前にも来て降らせた。よりによって順平のお母が産気づいて、いつもは自転車に乗って来るべき産婆が雨降っているからとて傘さして高下駄はいてとぼとぼ辛気臭かった。
放浪 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
鹿田がいつになく丁寧な言葉使をするのが、富之助にはまた非常に氣味が惡かつた。
少年の死 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
下に着て居る古渡の更紗も面白くなく、柿色かきいろ献上博多けんじょうはかたの帯も面白くなく、後に聞けば生意気を以て新道に鳴る花次の調子のなおさら面白くなく、それにいつもの婢が二階座敷に出て居て
油地獄 (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
『おゝ、それも左樣さうだ、わたくし考通かんがへどうりにもかないな、これから糧食かて積入つみいれたり、飮料水のみゝづ用意ようゐをしたりしてると、矢張やはり出發しゆつぱつ明朝あすのあさになるわい。』と獨言ひとりごつ、このをとこいつもながら慓輕へうきんことよ。
心ならずもあきないをしまい夕方帰かえって留守中の容子ようすを聞くと、いつつくように泣児なくこが、一日一回もなかぬといわれ、不審ながらもよろこんで、それからもその通りにして毎日、あきないに出向でむくなにとても
枯尾花 (新字新仮名) / 関根黙庵(著)
お京さん母親おふくろ父親おやぢからつきりあてが無いのだよ、親なしで産れて来る子があらうか、己れはどうしても不思議でならない、と焼あがりし餅を両手でたたきつついつも言ふなる心細さを繰返せば
わかれ道 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
みのるのいつもするやうに風呂敷包みを持つて、氣取つたお辭儀をしてから
木乃伊の口紅 (旧字旧仮名) / 田村俊子(著)
其面そのかおを見ると、私は急に元気づいて、いつになくさかん饒舌しゃべった。何だか皆が私の挙動に注目しているように思われてならなかった。無論友達はうち立際たちぎわに私の泣いたことを知る筈はないから……
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
死出しで」の挿頭かざしと、いついつもあえかの花を編む「命」。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
ガラッ八はいつものように絵解きをせがみます。
千代松はいつも自分の坐るところへ例ものやうな形に、はんこでした如くキチンと坐つて、肩を搖り/\低い聲で言つた。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
奈何したのか、鍛冶屋の響も今夜はいつになく早く止んだ。高く流るゝ天の河の下に、村は死骸の樣に默してゐる。
赤痢 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
電気燈のまだごとにともされない頃だったので、客間にはいつもの通り暗い洋燈ランプいていた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
記者はそんな折にいつもするやうに煙草をふかさうと思つて上衣うはぎのポケツトに手を入れた。指先に触つたのは煙草では無くて、矢張その頃の文士の一人フランソア・コツペエの詩集であつた。
それに鉤手かぎのてに一連の山があり、そしてその間が平地として、汽車に依つて遠國の蒼渺たる平原と聯絡するやうな、或るやや大きな町の空をば、この日いつになく鈍い緑色の空氣がおほつてゐる。
少年の死 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)