鵬斎ぼうさい)” の例文
張交はりまぜふすまには南湖なんこだの鵬斎ぼうさいの書だの、すべて亡くなった人の趣味をしのばせる記念かたみと見るべきものさえもとの通りり付けてあった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
且亀田鵬斎ぼうさいの如く、篁墩とともに金峨の門に出で、蘭軒と親善に、又蘭軒の師友たる茶山と傾蓋ふるきが如くであつた人もある。わたくしの今これに言及する所以ゆゑんである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
詩仏しぶつ鵬斎ぼうさい詩文しぶんにてなぶりものにされたりといふことえたるが、もとより菊塢きくう世才せさいにはたけたれど学文がくもんはなし、詩仏しぶつ鵬斎ぼうさい蜀山しよくさん真顔まがほかげ春海はるみ当時そのころ聞人もんじん幇間半分たいこはんぶんなぶり者にせられしには相違さうゐなし
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
すると途上で楼を出て来た男が茶山を捉へて、「お前さんは菅茶山ぢやないか、わしは亀田鵬斎ぼうさいだ」と云つた。二人はかつて相見たことはないのである。鵬斎は茶山を伴つて、再び楼に登つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
其墓に銘したものは亀田鵬斎ぼうさいである。文河槐庵の事は上に見えてゐる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)