開山かいさん)” の例文
仏蘭西写実派小説の開山かいさんバルザツクは、随分たんと小説を書いたが、それだけではまだ書き足らないで、脚本の方へも脚を踏み出さうとしてゐた。
上に坂あり、登りて住職じゆうしよくの墓所あり。かのふちよりいだしたる円石まるいし人作じんさくの石のだいあしあるにのせてはかとす。中央まんなかなるを開山かいさんとし、左右に次第しだいして廿三あり。
えらい、傑い。その武士も傑いが、ヤッちゃんもまけずに傑いぞ。小錦関こにしきぜきだ、やがてした開山かいさんの小錦関だ。」
有名な東洋ゴロ兼法螺ほらの日下開山かいさんピントはスマトラで息で人殺す巨蛇に逢ったといい、ドラセルダ
こういう訳ですから万事が非常にみだれて居って、チベット仏教の現今の状態は全く新教派の開山かいさんジェ・ゾンカーワが敷かれた趣意しゅいとは反対のものになって実に見るに忍びない有様になって居るのです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
上に坂あり、登りて住職じゆうしよくの墓所あり。かのふちよりいだしたる円石まるいし人作じんさくの石のだいあしあるにのせてはかとす。中央まんなかなるを開山かいさんとし、左右に次第しだいして廿三あり。
紀州に光明寺といふ黄檗わうばくの寺がある。が、そこの開山かいさんは円通といふ草書にたくみな坊さんだつた。
秋も丁度半ばで、田舎家の軒に柿の実があかく色づくやうになつた。——柿といへば、例の上野寛永寺の開山かいさん天海僧正が、ある時将軍家光の御前へ出た時、柿の実を饗応ふるまはれた事があつた。
和歌山の光明寺の開山かいさんに、円通といつて、草書にたくみな和尚が居た。