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長門守
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ながとのかみ
ふりがな文庫
“
長門守
(
ながとのかみ
)” の例文
(第三)まもなく内匠頭の親友である戸沢
下総守
(
しもうさのかみ
)
と小笠原
長門守
(
ながとのかみ
)
が浅野邸へやってきて、上野介は
傲慢不遜
(
ごうまんふそん
)
な男であるから
本所松坂町
(新字新仮名)
/
尾崎士郎
(著)
「
飛騨
(
ひだ
)
高山三萬八千石の城主、金森
長門守
(
ながとのかみ
)
樣の御用人、五百石取の富崎左仲といふ方が、今から丁度十日前に、お長屋で腹を切つて死んでゐる」
銭形平次捕物控:156 八千両異変
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
惣門の前には、今所司代の村井
長門守
(
ながとのかみ
)
(春長軒)が供の者をひかえて佇んでいた。ちょうど内から出て来た貴人の
輿
(
こし
)
に遠慮しているふうだった。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
身体を斜に風の当りを弱めながら小笠原
長門守
(
ながとのかみ
)
様前を突っ切ると、次の一廓が松平修理太夫と
和気
(
わけ
)
行蔵の二構え、お長屋門の傍から松が一本往来へ枝を張っている。
釘抜藤吉捕物覚書:08 無明の夜
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
長門守
(
ながとのかみ
)
と守名を宣り大阪町奉行を勤めていた。ちょうどその頃のことであるが、瀬戸内海の大海賊赤格子九郎右衛門をひっ捕え千日前の刑場で獄門に掛けたことがある。
赤格子九郎右衛門の娘
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
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その時になって見ると、長州征伐の命令が下ったばかりでなく、
松平大膳太夫
(
まつだいらだいぜんのだゆう
)
ならびに
長門守
(
ながとのかみ
)
は官位を
剥
(
は
)
がれ、幕府より与えられた松平姓と将軍家
御諱
(
おんいみな
)
の一字をも召し上げられた。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「あ、そうだよ。そこの細川
長門守
(
ながとのかみ
)
さまのお屋敷向こうの
増屋
(
ますや
)
っていうお米屋だよ」
右門捕物帖:33 死人ぶろ
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
小川町の歩兵屯所も土屋
采女正
(
うねめのしょう
)
と稲葉
長門守
(
ながとのかみ
)
の屋敷の建物はみな取り払われて、ここに新らしい長屋と練兵の広場を作ったのであるが、ある一部には昔の庭の形が幾分か残されている所もあった。
半七捕物帳:62 歩兵の髪切り
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
呼出され其方は
早追
(
はやおひ
)
にて遠州
相良
(
さがら
)
へ參り
長門守
(
ながとのかみ
)
用人共へ此書状を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
長州藩では、藩の
世子
(
せいし
)
長門守
(
ながとのかみ
)
が、迎えに出た。また、五卿慰労の春帆楼の
一夕
(
いっせき
)
には、藩士の
桂小五郎
(
かつらこごろう
)
と、
伊藤俊輔
(
いとうしゅんすけ
)
が、あいさつを述べに、伺候した。
松のや露八
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
巾着切と
騙
(
かた
)
りの仲間——天滿七之助の身内十何人を
珠數
(
じゆず
)
つなぎにして、江戸つ子達にやんやと喝采を送られた錢形平次と八五郎は、町奉行村越
長門守
(
ながとのかみ
)
樣小梅の寮に招かれ
銭形平次捕物控:183 盗まれた十手
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
係りの奉行はその時の月番東町奉行志摩
長門守
(
ながとのかみ
)
で捕方与力は鈴木利右衛門であった。
赤格子九郎右衛門の娘
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
このすさまじい「
駈落
(
かけおと
)
し」のうちに、宮脇又兵衛(後に
長門守
(
ながとのかみ
)
)は馬を用いていた。そして
宝寺
(
たからでら
)
のうしろの断崖の上に来てしまったのである。馬は当然、硬直してうごかない。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
八方から手を入れて、
漸
(
やうや
)
く判つたのはたつた今だ。富崎佐太郎の使が金森家用人へ持込んだ金は、確かに小判で三千兩だ。
長門守
(
ながとのかみ
)
樣もその話を聞いて、すつかり考へ直したつて言ふぜ。
銭形平次捕物控:156 八千両異変
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
長
常用漢字
小2
部首:⾧
8画
門
常用漢字
小2
部首:⾨
8画
守
常用漢字
小3
部首:⼧
6画
“長門守”で始まる語句
長門守宗寿
長門守正廣
長門守興建