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里内裏
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さとだいり
ふりがな文庫
“
里内裏
(
さとだいり
)” の例文
「待て。——みかどには、先ごろから、皇居を二条富小路の
里内裏
(
さとだいり
)
(町なかの仮ノ御所)へお移しあったと、うけたまわる。承知してか」
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
九条家の敵は
久我源氏
(
こがげんじ
)
の
土御門通親
(
つちみかどみちちか
)
で、兼実の女宜秋門院には皇子の御誕生がないのに、通親の養女
承明門院
(
しょうめいもんいん
)
には土御門天皇がお生れになり、通親の土御門邸が
里内裏
(
さとだいり
)
になるという形である。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
里内裏
(
さとだいり
)
老木
(
おいき
)
の花もほのめきぬ
五百句
(新字旧仮名)
/
高浜虚子
(著)
一
輛
(
りょう
)
の牛車が、五条大橋口から富ノ小路の
里内裏
(
さとだいり
)
のほうへむかって、黒いわだちの
痕
(
あと
)
をのこして行くのが見える。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
六波羅両庁と、二条富小路の
里内裏
(
さとだいり
)
のあいだは、まさにこんな
磨
(
と
)
ぎすまされた空気だったにちがいあるまい。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
足利方で立てた光明院の朝廷は、さきごろ、
押
(
おし
)
ノ
小路
(
こうじ
)
室町
(
むろまち
)
の一劃を、
里内裏
(
さとだいり
)
とさだめられた。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
里内裏
(
さとだいり
)
とはいえ、地域は広大だ。一ときの、御座所のあたりは言語に絶する騒ぎだったが、しかし中門の外、まして
外門
(
げもん
)
の遠くへなどは、この夜のこと、何一つ響いてはいない。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
皇居はいま、二条の
里内裏
(
さとだいり
)
にあるので、
紫宸
(
ししん
)
、
清涼
(
せいりょう
)
の
階
(
きざはし
)
ではないが、
御簾
(
みす
)
ちかく彼を召されて、特に、
賜酒
(
ししゅ
)
を下され、そして
音吐
(
おんと
)
まぎれなく、帝じきじきのおねぎらいであった。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
天皇の
鸞輿
(
らんよ
)
は、もう今しがた、二条の
里内裏
(
さとだいり
)
をお立ち出でと、沿道ではつたえていた。
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
二条
里内裏
(
さとだいり
)
は、殿上殿下、ひろい夕闇が、せわしなげに、すべてチロめく灯であった。そして尊氏も供奉の任をすました上はと、退出の機をうかがっていると、ふと、自分を呼びとめる者がある。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
大内の森や
里内裏
(
さとだいり
)
にも、住まうお人はいなかった。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
千種忠顕の軍は、二条富ノ小路の旧
里内裏
(
さとだいり
)
へ。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“里内裏”の意味
《名詞》
正式な内裏の外に設置された仮設の内裏(御所)。
(出典:Wiktionary)
“里内裏”の解説
は、平安時代以降、平安宮内裏以外の邸宅を天皇の在所(皇居)として用いたものを指す。「里」とは平安京の里坊(「里」「坊」はいずれも方形に区切られた街区)のことであり、すなわち里内裏とは「京内に置かれた内裏」という意味である。
(出典:Wikipedia)
里
常用漢字
小2
部首:⾥
7画
内
常用漢字
小2
部首:⼌
4画
裏
常用漢字
小6
部首:⾐
13画
“里”で始まる語句
里
里人
里方
里芋
里昂
里程
里言
里見
里見弴
里心