跪拝きはい)” の例文
文字通りに「偶像」を跪拝きはいする心理についてである。しかしそれも、庶物崇拝フェティシズムの高い階段としての偶像崇拝全般にわたってではない。
偶像崇拝の心理 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
あなた方の前に跪拝きはいすること——これは全くの畜生でない限り、各人の義務です! だからぼく跪拝しました……や、もうあなた方の下宿です。
フランスの民衆はその前に跪拝きはいした。彼らのうちにおいてその二つは、あるいは矛盾し、あるいは一致しながら、常に汪洋おうようたる潮の流れを支持していた。
レ・ミゼラブル:01 序 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
遅かれ早かれ何物かが美しい世界へ踏み込んで来て、迷える魔術師を跪拝きはいせしめなければならないのである。
しかし始めの間彼は、彼らが新教のある小派の典礼に属してることだと、思い込んでいた。聴衆は跪拝きはいしていた。弟子でしらは敬虔けいけんで、偏狭で、攻撃を好んでいた。
一度跪拝きはいせしものを凌辱りょうじょくしながら、汚行より汚行へ移りゆきしあの上院の前から、遁走しながら偶像を唾棄だきするあの偶像崇拝の前から、顔をそむけるのが正当であった。
われわれが「価値」にこびを送る間は、われわれは「表現」に跪拝きはいしなければならぬだろう。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
一松斎はそういって、ぬかずく雪之丞を見下ろすと、祭壇に向って、柏手を打ち、深く、跪拝きはいして、いつも神霊の前に供えてある、黒木の箱のふたをはねると、中から、一巻の巻物まきものを取り出した。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
早速の頓智とんちで馬に群衆中より帽に十字を帯びた一人を選んで低頭跪拝きはいせしめ、魔使ならこんな真似をせぬはずと説いて免れたという、その前後馬が芸をして魔物と疑われ火刑を受けた例少なからぬ。
が、ただし次の時代になると、この同じ群衆が前に罰せられた犯罪人を台座に載せて、彼らに跪拝きはいするのです(多少程度の差こそありますが)。
ただわれわれの心からな跪拝きはいに価する——そうしてまたその跪拝に生き生きと答えてくれる——一つの生きた、貴い、力強い、慈愛そのものの姿であった。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
それは一種の遠方からの景慕であり、ひそかな沈思であり、知らぬ人に対する跪拝きはいであった。
そしてクリストフは、毎朝ペンを執る前に跪拝きはいした老ハイドンの知恵を理解した。……戒心し祈れよ。われわれとともにいますよう神を祈れよ。生の神霊と愛深き敬虔けいけんなる交渉を保てよ。
なぜなら、それは真実へ導く一つの道程だからね。僕がいまいましくてたまらないのは、やつらがでたらめをいいながら、しかも自分のでたらめを跪拝きはいしていることなんだ。
狂言を押しつぶし、無窮なるものを跪拝きはいすること、それが法則である。創造の木の下にひれ伏し星辰せいしんに満ちたその広大なる枝葉をうち眺めることのみに、止まらないようにしようではないか。
ある者は自然の前に跪拝きはいし、ある者は自然を恋人のごとく愛慕する。そうして常に自然から教わるという心掛けを失わない。しかし日本画家は自然に対してあたかも雇主のごとき態度を持している。
院展遠望 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
跪拝きはいの心地で、おのが心の朗らかさと精気エーテルの朗らかさとを比べて見、暗やみの中で目に見得る星辰せいしんの輝きと目に見えざる神の光輝とに感動し、未知のものより落ちてくる思いに心をうち開いていた。