豊島町としまちょう)” の例文
あっしゃ全体、神田の豊島町としまちょうで生れたんだけれど、牛込うしごめ赤城下あかぎしたに住んでたのさ。お父さんはお組役人——幕末あのころ小役人こやくにんなんざ貧乏だよ。
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
文治が友之助を助けた翌日、お村の母親の所へ掛合かけあいに参りまして、帰りがけに大喧嘩の出来る、一人の相手は神田かんだ豊島町としまちょうの左官の亥太郎いたろうと申す者でございます。
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
もと妙了は特に渋江氏に縁故のある女ではない。神田豊島町としまちょうの古着屋のむすめに生れて、真寿院しんじゅいん女小姓おんなごしょうを勤めた。さていとまを取ってから人に嫁し、夫をうしなって剃髪ていはつした。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
宇平の姉りよは細川長門守興建ながとのかみおきたけの奥に勤めていたので、豊島町としまちょうの細川邸から来た。当年二十二歳である。三右衛門の女房は後添のちぞいで、りよと宇平とのためには継母である。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
森「おうい、豊島町としまちょう棟梁とうりょうか」
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
当時の江戸分間大絵図えどぶんけんおおえずというものをけみするに、和泉橋いずみばし新橋あたらしばしとの間の柳原通やなぎはらどおりの少し南に寄って、西から東へ、おたまいけ松枝町まつえだちょう、弁慶橋、元柳原町もとやなぎはらちょう佐久間町さくまちょう四間町しけんちょう大和町やまとちょう豊島町としまちょうという順序に
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)